ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(135)エルグレコ記念館。

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賑やかな大聖堂前広場を通り抜け、再び路地に入り込む。
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古い中世の色香が漂っている。
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路地の中のパテオ。夜になったらオープンするのだろう・・。
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前方に又人の行列が見える。
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今度は何の集まりだろう・・。
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古都トレドの古い街並みを歩き、漸く大聖堂に行き当たったが、残念ながら当日は何らかの事情で教会内に入ることはできなかった。しかし、大聖堂前の広場で大勢の市民が集まって、飲めや歌えの賑やかな集まりを見ることができ、町自体は古いがそこに住んでいる人々は、他の町の人々同様、明るく陽気で現代的なスペイン人。中世と現代が程よくマッチした光景を眺めることができた。

再び狭い路地を歩いてくと、前方に今度は沢山の人が行列を作って並んでいる。道路標示の案内板を見ると「Casa De El Greco」とある。ああ、「グレコの家」だ。人々はこのグレコの家に入る為に並んでいたのだ。これだけ沢山の人が並んでいると言うことは、中にきっといろいろ沢山のグレコ名画があるのかも知れない。自分も長蛇の列の後ろに並ぶことにした。

エルグレコと言ったら、倉敷の大原美術館に展示されている「受胎告知」が有名で、以前司馬廉太郎の「街道をゆく」の「倉敷・牛窓の道」で、この絵画を絶賛していて、自分も以前岡山に用事で行った折、足を延ばして美術館を訪ねたが、司馬が絶賛する通り、強い感銘を受けた。今回この受胎告知のシリーズ物を見られるかも知れない、と期待して列の後ろに付いたのだった。

それ程長いこと待つこともなく館内に入ることができた。ここはエルグレコが晩年を過ごした住宅で、死後一部を開放し記念館としたが、外部の参観者が入れるのは、入り口の一部屋だけで、正面の大きな壁に、大きな絵画が1枚掛けられているだけだった。これが受胎告知の連作の1枚かどうかは分からないが、倉敷にあるような明暗をくっきりとさせた陰影の深いものではなく、ぼんやりと、何かイメージを膨らませるような描き方で、想像力の乏しい自分に取ってはそれ程の感銘を受けるものではなかった。

他のお客さんも同じような受け取り方だったのか、正面の絵画の前に立ち止まることもなく、そろそろ歩を進め、部屋を一巡して館を出ていく。館を出たすぐ横の同じ建物の一角に記念品を販売する土産店があって、そちらの店の方がむしろ賑やかな感じだった。エルグレコグレコはGreco-Romanのグレコラテン語ではギリシャを意味している。彼自身ギリシャの生まれだが、晩年をこの国の古都で過ごすことになった。欧米人がグレコをどう見ているのか、自分には分からないが、人気の高い画家の一人だろう。昨日行ったプラド美術館グレココーナーにも沢山の観客がいた。古典派を代表する画家の一人であることは間違いない。記念館の前に立ち、写真を撮って、崖上の絶景を見に行くことにした。



案内板を見ると「グレコの家」と出ている。
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ああ、エルグレコ。自分も入ってみよう。
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列の後に付いて中に入る。
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中は一部屋のみ解放されていて、大きな絵画が1枚掛かっていた。
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案外あっさりしたものだった。ちょっと事前の期待とは違っていた。