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日々の連続

イベリア周遊の旅(175)バルセロナ波止場周辺で。コロンの塔。

ランプラス通りの南端はバルセロナ港に面していて、そこの広場にはコロンブス像が建っている。
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像は高さ60mもあり、下から見ても良く見えない。
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コロンブス、スペイン、英語名ではコロン。右手を天に突き上げ、米国方向を見つめている。
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100年ほど前、この町で万博が開かれた際、その記念にこの像が建立された。
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堂々たるスペインの建築物だ。
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ランプラス通りは街路樹に覆われた幅広の大通りで、通りの真ん中は20m幅程の遊歩道になっていて、レストラン、土産店、小売店、花屋などが並んでいるこの町一番の通りだ。南北に約800m程あり、北側の端がカタルーニャ広場、南の端が港になっていて、そこにはコロンブスの塔が建っている。コロンブスポルトガル語で、日本人も普通にコロンブスと呼んでいるが、英語ではコロン。それはスペイン語で彼のことをコロンと呼ぶからである。そのランプラス通りが終わった所にコロンの像が建っている。

高さ約60m、この像は今から100年ほど前、この町で万国博覧会が開かれた際に、その記念として建てられたものだ。1492、コロンブスアメリカ発見は世紀の大発見で、世界の歴史を変える出来事であり、この発見の年号は、高校受験の試験問題にも出されるものだ。イシノクニ(石の国)、当時は懸命に暗記したものだ。

下から見上げても像の位置が高過ぎ、余り良く見えないが、カメラの望遠を使って漸く立派な像を見ることが出来る。右手を高々と上げ、「我この地、新大陸に初上陸するぞ」、と。それから400年、今や米国は世界の覇権国に昇り上がり、今度は又トランプが世界の秩序を滅茶苦茶にしようとしている。アメリカの生みの親コロンブスは草葉の陰でどう思っているだろうか。

大西洋横断に初めて成功したコロンブスがどこの港から出航したのは自分は知らない。今まではリスボン辺りから船出したとばかり思っていたが、ここにこの様な立派な立像があると言うことは、案外この港バルセロナから出航したのかも知れない。それを裏付けるかのように、このコロン像の周辺には建設されてから数百年も経つようなクラシカルな石造建物が広場を囲むようにして建っている。

中で一番目立つのは波止場の波打ち際に建っている旧港湾局、ここでは税関業務なども兼務していたであろう、堂々たる建物だ。その他、今は海洋博物館になっている建物、その他、何かは分からないが行政府の重厚な建物も見える。考えてみればこの港、紀元前の時代のハンニバルが遥々カルタゴからローマに侵攻した際にも通過した港町だったのだ。歴史は古い。



旧港湾局は水辺の直ぐ傍に建っている。
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これも又重厚な建物だ。
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これも又港湾広場に面して建っている。
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何かの公共建物に違いない。
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大勢の観光客が像を背に休んでいる・・・
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