ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(17)古代エジプトの象形文字、ヒエログリフについて。

エジプト館はギリシャの影響を強く受けた壺、その他の骨董品が展示されている。
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これはエジプト王、ファラオだ。
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ここにも又別のロゼッタストーンが展示されている。人類の文化遺産だ。
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入館者も厳かに観察している。
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エジプトの偉大な歴史に人々も興奮気味だ。
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日本の有史時代は僅かに千数百年に過ぎないが、エジプトの歴史は遥かに長い。世界4大文明の一つに数えられている位だから、当然と言えば当然なのだが、紀元前4000年、5000年、或いはそれ以上昔からの気の遠くなる程の歴史を刻んでいる。自分も以前ナイル河畔の砂漠の中にあるクフ王やその他のピラミッドに登り、これが今から3000年、4000年も昔に建造されたことを想い、悠久の歴史を感じたものだったが、それも僅かに半世紀前のことにしか過ぎない。アスワンのカルナック神殿で買わされた古代のイコンは、数千年も前の発掘品と熱心にすすめられたのだが、いずれ模造品に違いない。今では自宅2階のどこかで埃を被っている。

文字が最初に生まれたのは中東メソポタミア楔形文字と言われているが古代エジプト象形文字ヒエログリフも同じ位に古い。それは中国黄河文明にも言えることであって、中国の甲骨文字の出現も同じ頃だ。お互いの文明間には交流は無かった筈だが、世界の様々な地域で、同時発生的に文字が生まれた、というのは、古代人類の今で言うところのシンギュラリティだったのかも知れない。いずれにしても、これ等文字は死に絶え、現代人には解読不能だった。

処が18世紀以降、英仏の植民地争いで、ここエジプトは草刈り場になった。最初にナポレオンが攻め入り、自国の保護下に置いたが、その際、沢山の学者を引き連れてやってきて、その中の一人の学者がナイル河口の港湾都市ロゼッタで発見されたこの石碑の解読に努め、漸く古代エジプト象形文字を解読することが出来た。アレキサンドリアクレオパトラが生まれる大分以前からエジプトの国力は低下していて、既にギリシャの半植民地状態になっていた。当時この石碑はナイル河畔のどこかの神殿に置かれていたようだが、内容は当時の法律が象形文字と現地語及びギリシャ語の3か国語で彫られていて、ギリシャ語の理解できる学者であれば、その対訳としての象形文字も読み解くことが可能になった。この石碑が発見されるまでは、象形文字は誰も全く理解できず、偉大な古代エジプトの歴史も残された建造物でしか理解できなかったが、象形文字の石文を読むことにより、壮大なエジプト王国の長い歴史が明らかとなった。

その後ナポレオンは英国将軍、ウエリントンに敗れ、エジプトの支配権はフランスよりイギリスに移されたが、この世界最大の文化遺産ロゼッタストーンもイギリスが所有することになり、今現在この大英博物館にて展示されることになった。今もこうしてこの場で、世界中の人々が間近に目にすることが出来る。フランスパリには巨大なオベリスクがあり、イギリスロンドンにはこのロゼッタストーンがある。古代エジプトの偉大な文明は現代に継承されている。



このファラオの生涯は象形文字で克明に記録されている。
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5000年の歴史の中で、一体何人のファラオが生まれ、死んでいったか・・
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このどこかにツタンカーメンの像もある筈だが・・
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ヒエログリフ! 芸術的な文字だ。これを掘るのに、何人がどれ位の期間を要したのだろうか・・
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壮大な遺跡だ。失われたアーク、インディジョーンズを思い出す。
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