ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(30)生き佛、クマリ。

クマリが数回窓辺に姿を現したが、残念ながらピンボケの写真しか撮れなかった。
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中庭で暫くクマリについて考察し、館を出ることにした。
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暫くダルバール広場周辺を歩いてみよう。
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ああ、学校だ。地震の後、再築されたようだ。真新しい。
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ほんの一瞬だがクマリを見ることができた。クマリの館の中庭にいた十数人の観光客がざわつき、カメラを構える人も出てきて、皆の視線は中庭正面の2階の窓に釘付けになっている。今か今かと待ち構える顔付だ。ガイドか誰かがネパール語で、そろそろ出てくる頃だと伝えたようだ。自分も急いでカメラを構え、2階に注目する。サラサラサラと2階の薄暗い廊下に人影が動いたようだ。瞬間人々から歓声が上がる。クマリだ。急いでシャッターを切ったが、タイミングを逃してしまったようだ。奥の廊下を2-3回往復し、半身を乗り出すように、窓の外に上半身を晒す。人々の更なる感嘆。生き仏を直に見る感嘆、感激。

何回かカメラを切ったが、慌てていたせいか、照明も十分でなく、どれもピンボケに終わってしまった。生き仏は姿は現しても、被写体にはならいような霊感が働いているのか・・。でもまあ、赤い衣服を纏った丸顔の童女顔は、以前どこかのテレビ映像で見たクマリそのものだ。まだ4-5歳になるかならない頃、神託によって一人の童女が選ばれ、この館の中で世俗とは隔絶された仏の生活を営む。毎年1度盛大なクマリの祭りがあり、その時だけは神輿に乗って外に出ることが出来る。1年に1度のクマリにとっての外出日だが、だからと言って自由に親兄弟と会うこともできない。この国で国王以上か、国王に次ぐ位の神聖な存在なのだ。勝手な行動はできない。

隣のチベットでは童女ではなく童子が選ばれ、民族の最高の権威、ダライ・ラマになって行くのだが、それは終身で、現在のダライ・ラマが何世なのかは詳しくは知らないが、もう70歳過ぎの高齢だが、時々日本にやってきたりして、特に成田山新勝寺とは縁が深いようで、度々行啓しているが、そのラマさんが亡くなると選任された次のラマさんが第何世ダライ・ラマに就任し、民族の最高位に納まり、人々の絶大な帰依を受けることになる。

こちらチベットのクマリは終身ではなく、一定の年齢、二十歳前後と思われるが、そうした年齢に達すると、還俗し、以降は普通の女性としての生活を営むようである。その時は当然の次の童女がクマリとして、この館に住むことになる。クマリ、ラマ、天皇と呼び方は違うが、何か日本の天皇制、現人神に共通するような民族の思想を感ずるが、それは民族の求心力、絶対権威を盛り立てる力、崇拝と憧憬、等々、興味深いものがある。

クマリのはっきりした写真を撮れなかったのは残念だったが、この館に入り、クマリに思いを馳せることができたのは、一つの収穫だった。そう思ってこの館を出て、暫くこの周辺、ダルバール広場を歩くことにした。



地震で崩れた建物も、現在修復中だ。
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古い建物が多いが、どれが何なのかはさっぱり分からない。
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皆同じような古い建物に見えるだけだ。
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勉強不足で歴史的美観には無頓着だが、凄いハトの数には驚く。
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