ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・徳島編(7)安楽寺での精進料理。

真ん中の古い建物が安楽寺の以前の庫裏。右手の新しい建物が宿坊を兼ねた現在の庫裏。
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温泉山の謂れが書いてある。空海の時代、ここで温泉が出て、行者、参詣者等が癒されたとのこと。そこで山号を温泉山とした。
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この桝石の中で、昔は温泉が出ていた、との謂れだ。
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安楽寺での昼食。精進料理風だ。仏教用語の斎食か・・。
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お昼にはまだ少し早いが、今朝は不十分な朝食しか食べていないので、昼前の丁度よい時間だ。安楽寺本堂の直ぐ右手に大師堂があり、その手前に大きな庫裏がある。お経は後回しにして、先ずは昼食から。ここの庫裏で今日初めて靴を脱ぎ、板の間の廊下の先に大きな食堂がある。この時間、我々阪急ツアーの34人プラス添乗員二人と先達さんだけだ。庫裏の入り口には宿泊者の受付もあって、この食堂の奥には2階建ての宿坊が続いている。今の時間、宿泊者はもう既にお遍路に出ているので、廊下にはそれらしき人影は見えない。昨日何人泊ったかは知らないが、それ程多くはないだろう。今まで回った3ケ寺でもそれ程多くの巡礼者には出会わなかった。

どんな食事が出てくるのか楽しみにしていたが、矢張りここはお寺の食事。殺生禁止で菜食だ。これを精進料理と言うのかどうかは、先達からの説明も無かったが、箸をつける前に先達の唱導で食事作法を行う。一滴の水、天地の恵み、一粒の米、万民の労苦、の偈の文を唱和し、食事に進む。味は淡白で、所謂、関西京都風の薄味か。肉に似せたがんものようなものや、タケノコ風の炊き込みご飯が美味しかった。食事が終わった後の合同での唱和はなく、終わった人からめいめい立ち上がって、そうそうここは椅子席だから立ちあがるというのは大げさかも知れないが、席を立って外に出る。

外に出て、この寺の縁起を読んで、漸くガッテンした。温泉山という珍しい山号は、815年、弘法大師が42歳の厄年のみぎり、この寺で修業し、無事に厄年を乗り切り、その際、この寺には温泉が出て、疲れた体が癒されて、元気になった。そこで。この寺の山号を温泉山としたとのことである。

元々のお寺はここから少し離れた場所にあったそうだが、今でもこの寺の境内から温泉が出ているが、それは本当に温泉とも言えない程のぬるい鉱泉で、本堂の前には金と銀の童観音の水盤があって、そこに温泉水が流れ出ているが、水温は水道水と変わらないか、それよりは少しばかり暖かい感じの温度で、先達さんの話によれば、これでも冬場は暖かく感じるそうである。本堂と大師堂を続けてお参りし、この寺を後にして、次の十楽寺へ向かった。



昼食を終えてから本堂でのお経、般若心経を上げる。
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本堂の前に水盤。随分とぬるい温泉、鉱泉が出ている。これでも冬は暖かく感じるそうだ。
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本堂の次は大師堂へのお参り。
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再び般若心経を唱和し、この寺を後にする。
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