ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(29)緑剛崎灯台にて。

緑剛崎灯台からは今まで走ってきた能登の海岸線がよく見える。
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広い公園の中にはいろいろな案内プレートが立っている。
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灯台の歴史、経緯なども細かく説明されている。
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ここは列島の中心なのだ!
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目の前の海岸から凡そ50mの高台に建っている緑剛崎灯台。この灯台の歴史は古く、古くは江戸時代の北前船時代から今の場所の付近に灯火台があって、沖を航海する船の目印になっていた。自分もいろいろ各地の半島、灯台をみてきたが、能登半島は一般的な半島とは違っていて、即ち一般的な半島は陸地がほぼ真っ直ぐ海に伸びていて、先に行くほど陸地が細く狭くなり、海中に没している例が多いが、この能登はそうした形状とは異なっていて、半島の先端部はスパナ又はペンチの頭の部分、或いは握りこぶしを作った時のコブの部分に当たり、常のように岬の先端がストンと海に没しているような形にはなっていない。だから車で走っていてもどこが半島の最先端なのかは分かりずにいたのだが、昔からここが半島の最北端と位置付けられいるので、ここ緑剛崎が半島の最先端であることに間違いはないだろう。

今はGPSが普及して灯台の価値、有用性が薄れてきてはいるが、それでも尚全国3000か所以上の灯台があり、それ等は海の交通を守る海上保安庁が管轄しているが、この緑剛崎灯台は稀に見る程奇麗に管理整備されている。広々とした台地上の公園。周囲に植えられた桜の並木、又、ここはジオパーク、エコウオーキングの出発点にもなっていて、ここをスタートして、先刻国道から見た木の浦海域公園まで細い遊歩道を歩いて行けるようになっている。これ程奇麗に整備していても、見に来てくれる人が自分一人ではもったいないことではあるが・・。

さて、その灯台であるが、広場に掲げられたプレートを読むと、最初にここに洋式灯台が出来たのは明治16年のことで、イギリス人の設計によるものだった。日本で最初の洋式灯台東京湾を守る三浦半島手前にある観音崎だが、その僅か15年後にこの場所に建設されている。その菅野崎灯台と共に、この緑剛崎灯台も日本の灯台50選に選ばれていて、白大理石造りの灯台は、選ばれて然るべきだろう。この灯台からは朝日も見えて、夕日も見える。目の前が180度開けているから、朝日夕日が共に見えるのは当然のことかも知れない。日本ロマンティック協会からは「恋する灯台」とも命名されているようだ。

他にもいろいろと宣伝がある。ここは列島の中心であると。日本の中心は測り方によっていろいろあるようだが、以前兵庫の西脇へ行った時に、この町が日本のヘソ、中心とのPRをしていて、へそ饅頭なども売られていたが、日本列島だけなのか、北海道から九州までの中心か、或いは沖縄まで含めるかによって、中心も移動するに違いない。さしずめこの緑剛崎灯台は北の青森から南の下関までの列島の中心に違いない。海上保安庁の立てている掲示板だから、計測を間違えるということはないだろう。その傍に高いポールが立っていて、各都市との距離が書いてある。東京まで302キロ、上海まで1598キロ、釜山まで783キロ。釜山が東京の倍以上離れているとの認識はなかった。一衣帯水とはいえ、異国の地は案外遠いものだ。



高いポールの上にはそれぞれの都市間の距離が出ている。
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海上保安庁が管理する灯台公園。随分と奇麗に整備されている。
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ここから木の浦までの自然歩道の出発点になっている。近くに住んでいれば、一度は歩いてみたい自然歩道だ。
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たった一人の貸し切り公園。一緒に喜ぶ人がいなくて残念ではあるが・・。
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