ちゃおチャオブログ

日々の連続

しなのの一日(7)上田城址。

駐車場から上田城址公園に入ると、前方に立派な石垣が見えてきた。

 

f:id:commodore:20191120223925j:plain

石垣を中に入ると、黄葉の並木道になっている。左手は内堀だ。

f:id:commodore:20191120224120j:plain

 

程よい色合いの黄葉。良い散策コースになっている。

f:id:commodore:20191120224158j:plain


歴史好きの山さん稲さんには、いよいよこれから上田城の散歩が始まる。戦国時代、上田の在の真田の山中からこの上田平に進出してきて、上杉武田の両覇者の間にもまれ翻弄され、なお生き抜き、豊臣崩壊直前にはこの城によって、東軍徳川の軍勢を2度にわたって押し返した真田一族。真田十勇士。昭和の少年たちにとっては、幸村、その息子の大介、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好西海入道等々の活躍に胸躍らせたものであった。

 

上田平。信州では盆地のことを平と呼び、昨日通った佐久平、大きな盆地の松本平。長野は、元々この地は善光寺の寺領のようなもので、長野平ではなく、善光寺平と呼ばれていた。この上田平は、平と呼ぶに相応しい、台地状の土地にあって、お城はその中央部にある。小諸城千曲川を上手に利用して外堀にしていたが、ここ上田城も又、近くを流れる千曲川から水を引き、大きな淵を作って、難攻不落の城にした。

 

今は城址公園となって、人々は誰でも自由に城内に入ることもでき、城内の一角には遊園地のような子供の遊び場などもあって、人々はこれから始まる秋の紅葉を楽しんでいる。その前方に立派な石垣が見える。戦国時代以来400年の風雪に耐えてきた立派な石垣だ。新たに再築された石垣のようにもみえるが、堂々とした石組は今にも通用する。多分搦手門の石垣だったのだろう、その石垣を回るようにして城内に入ると、黄葉の並木道が続く。左側はお城の内堀、右側に護国神社真田神社と続く。徳川の時代になって真田一族はこの城から追い出され、徳川股肱の大名が代わりに入部してきたが、真田を慕う地元民によって、いつの頃からか、真田を敬う神社が建立されたのだろう。

 

神社の前の黄葉の並木を進むと、前方に隅櫓が見えてきた。江戸時代、この城の主となった松平が建てたものだ。この隅櫓のすぐ下が、急な段差の石段になっていて、千曲川の深堀、淵になっている。駅の方から歩いてやってきた観光客が、息を切らしながら、この長くて急な石段を登ってお城にやってくる。きっと苦労のし甲斐はあるに違いない。

 

良く整備された城址公園になっている。

f:id:commodore:20191120224310j:plain

ああ、真田神社の境内だ。銀杏の黄葉が見事だ。

f:id:commodore:20191120224346j:plain

 

更に進むと、前方に隅櫓が見えてきた。この右側は急な階段になっていて、千曲川を利用した深い淵になっている。

f:id:commodore:20191120224429j:plain