ちゃおチャオブログ

日々の連続

しなのの一日(12)真田の六文銭に送られ、信濃を去る。

上田市立博物館。こじんまりして見やすい館だ。

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古い昔の古文書のようなものも展示されている。

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真田伝来の鎧兜。下垂の六文銭に見送られ、館を出る。

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上田城址は、今まさに黄葉が深まるところ。

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静かで、良い城址公園だった。

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地方の豪族で、天下取りに絡んだ訳でもない真田家には特別目を引くような展示品はない。写真撮影可のものは、後年の模造品で、精巧に作られてはいるが、400年前の実物ではない。中には400年前の旗物差しなども展示されているが、それ等は殆ど黒ずんでいて、色彩、模様等ははっきりとは色別できない。何かよく分からない古びたものを見ている感じだ。

 

旗差し物は六文銭。真田の家紋でもある。三途の川の渡し賃。昔の六文がどれ程の価値があったのかは知らないが、三文ではなく六文。それなりの価値はあったのだろう。一度戦場に出たらもう戻らない覚悟で戦いに臨む。その時の三途の川の渡し賃は旗の中に入れてある。この六文銭の旗印は、慶長19年、20年の大阪冬の陣、夏の陣に戦場を駆け巡った。負けると分かっていた戦い。幸村父子の最後の輝きだった。関ケ原以来約20年、高野山の麓九度山で囚われの身で過ごしていた父子は、密かに山を抜け出し、大阪城に駆け付け、最後の輝きを求めたのだ。戦国武将の見果てぬ夢。そんな露のような遺品が展示されていた。

 

さて30分、駆け足で館内を回り、六文銭に送られて館をでる。広々した城址公園は、今まさにこれから黄葉が深みを増すところ。今は東御市となっているが、昔の海野宿の街道筋を通り抜け、今日も又佐久の草笛、美味しい蕎麦屋に寄って、新ソバを食べる。山さん、新ソバが余程か気に入ったのか、昨日ホテルでお酒は浴びるほど飲んだ筈だが、又ソバに一杯。旅も温泉もソバもご機嫌だ。昼を食べ終え、又来た時と同じルート、内山トンネルを通り抜け、下仁田へ出て、道の駅で小休止。名物下仁田ネギが山と積まれている。自分はそんな沢山はいらないので、小葱と里芋、蒟蒻をお土産に買って帰る。午後6時、所沢インター着。順調に走って7時、自宅着。良い信州1泊の旅を終えた。

 

昼は再び佐久の草笛に寄り、ソバの昼食。

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新ソバに舌つつみ。

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佐久の草笛。美味しいソバ店だった。

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店の外は電柱の地中化が進んでいる。

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この佐久に於いておや。前方が新幹線佐久駅だ。

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