ちゃおチャオブログ

日々の連続

坂東観音霊場巡り(10)小田原勝福寺参拝。

山門の正面には緑青に覆われた本堂がみえる。

f:id:commodore:20200208153525j:plain

 

本堂の前には古びた鐘が下がっていた。

f:id:commodore:20200208153605j:plain

 

本堂の前にはどこか見慣れた像がある。

f:id:commodore:20200208160643j:plain

 

怪僧弓削の道鏡。後年ロシアのラスプーチンが比肩されるが、並外れた一物を持つ二人の怪男児は、時の女帝に取り入って、人身位を極め、専横を欲しいままにしていたが、最後は足元をすくわれ、失脚した。年取って容色が衰えたのかどうかは知らないが、晩年は天下人から滑り落ちた。日本人は、こと男性は、道鏡を複雑な目で眺め、評価する。

 

その道鏡の足跡がこの寺にあったとは、ここへ来る時まで知らなかった。道鏡が下野栃木薬師寺へ左遷された時、小田原のこの地に堂宇を建て、鑑真和上が請来した十一面観音像を納めたのだ。その像は亡き孝謙上皇から下賜されたものだった。道鏡はどんな思いでここに寺を建て、どんな思いで北の地に旅立っていったのだろう。この時既に道鏡の一族郎党は皆処分され、遠く土佐の地に配流されていた。

 

この寺には、もう一人、日本人なら誰でも知っていて、学校でも習ったこともある二宮尊徳銅像も立っている。尊徳はこの寺の近くの村に生まれ育ち、年少の頃、この寺で学び、徳を積んだと言われている。多分尊徳顕彰会の人々だろう。境内には本堂に向かって深く頭を垂れた尊徳の銅像がある。誰の作成か知らないが、深く心打たれる像だ。200年前の日本人。日本人の鏡のような人だった。

 

ああ、二宮尊徳が本堂に向かって観音様を拝んでいる姿だ。

f:id:commodore:20200208160429j:plain

 

尊徳像。日本人の鏡のような人だ。

f:id:commodore:20200208160446j:plain

 

その二宮像の横には真言十三仏の石仏が並んでいた。

f:id:commodore:20200208160457j:plain