境内には相撲の土俵もあった。
土俵の奥には、何かの石碑があった。
ああ、雷電為右衛門の手形だ。普通の大人の倍以上の大きさだ。
ドンファンはフランス語だが、日本にも古来からドンファンは数多くいた。有名な所では現代版紀州のドンファン。殺害されてからもう1年になるが、最近ではマスコミの追っかけもなく、和歌山県警ものんきなものだ。周囲の関係者はごく限られた少数の筈だが、県警は証拠を掴めず、このまま時効を待つ積りなのか・・。
平安時代のドンファンは言わずと知れた光源氏。源氏物語の中で、多くの浮名を流している。それから更に奈良時代の弓削の道鏡。もっと以前の古事記万葉の時代にも誰かいたかも知れないが、自分の知る限り道鏡は日本のドンファンの先達だった。その色男道鏡が創建したお寺に、1000年後の江戸末期、超真面目人間二宮尊徳がこの寺に帰依し、明治期の日本人の道徳律の見本、鏡になったのは、何か歴史の皮肉だったのか。
この寺は又鎌倉時代の曾我兄弟の仇討にちなむ事跡が残されていて、兄弟がこの寺に祈願し、見事仇の工藤何某を打ち取ったとのことである。それにちなんでか、昔から必勝の寺として崇拝され、その関係かどうか、境内には相撲の土俵も残されていて、江戸時代、小田原城下では相撲が禁じられていた関係で、ここで相撲が行われたようである。江戸期の最強力士雷電も地方巡業の折この地に立ち寄り、大きな手形が石碑として残されている。自分もその手形に自身の手を重ねてみたら、彼の手は倍以上の大きさだった。
境内、その土俵の手前には大きなクスノキが立っていて、樹齢約700年、県の天然記念物に指定されていて、その前には弘法大師と地蔵菩薩二つの銅像が木の陰に隠れるようにして立っていた。さて、境内を一巡し、最後に烏枢沙摩殿で用を足し、今日の観音巡礼を終了し、小田原鈴廣へ向かうことにした。
境内には樹齢700年の大クスも立っている。
境内から山門を眺める。