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日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(6)観音様は観自在?

四十番札所観自在寺。愛媛の最初の霊場である。

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寺内には薬師堂もある。

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大師堂。

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観音様は仏様の中では日本人にとっては一番身近な存在だ。何かの時の神頼み。南無阿弥陀仏、観音様。勿論二つの仏は別物で、通常大きなお寺に安置されている阿弥陀三尊は、中央に阿弥陀如来、その左右の脇侍として観音菩薩勢至菩薩が配置されている。云わば、如来に仕える菩薩の立場だ。

 

ここ四国霊場四十番札所観自在寺は、お寺の名前と本尊が異なっていて、ご本尊は観自在菩薩ではなく、薬師如来。薬師三尊の脇侍はそれぞれ日光、月光菩薩だが、何故本尊が観自在ではなく薬師如来になっているかの背景は自分には分からない。

 

一神教キリスト教イスラム教と違って仏教には沢山の仏様がいて、俗に八百万の神とも言われるが、仏教の発生の地インドには元々は仏教以前からバラモン教ヒンドゥー教)が広く流布していて、仏教はそこから派生した云わば新興宗教のようなものだが、このバラモン教には所謂ヒンドゥーの沢山の神々が存在していた。例えば日本人にもお馴染みの帝釈天などはヒンドゥー神の最高神の一人インドラ神の事で、毘沙門天などもヒンドゥー四天王の一人である。

 

処で、観音様。観世音菩薩の事であるが、このお寺の名前、観自在菩薩とどこがどう違うのか、或いは同じなのか・・。結論から言うと、観世音菩薩も観自在菩薩も全く同じ仏様、観音様である。 先日宗教学者ひろさちやの書物を読んでいたら、この二つの名前の違いについて紹介されていた。4世紀、鳩摩羅什によって仏教がインドから中国に伝来した際、彼はこの仏を観世音菩薩と中国語に訳した。世の中のすべての人の悩み、喜び、喜怒哀楽を聞き救済するという意味だ。実際、観音様は人々の悩みや願いに応じて変化し、千手観音、十一面観音、救世観音、百済観音、馬頭観音等々、様々な姿に変化する。

 

それからほぼ300年後、玄奘三蔵法師がインドの仏教学院ナーランダで修業し、大量の仏典を持ち帰ったが、その中の一つに般若心経があり、鳩摩羅什翻訳では観世音菩薩となっていた処、正しくは観自在菩薩であるとして、玄奘翻訳の般若心経は観自在菩薩として、以降、現在に至るまでこの玄奘訳が引き継がれてきている。般若心経では観世音菩薩とは言わないで、観自在菩薩と読経する。観世音が見て聞いて救済するのに対し、観自在は常にそこに存在し人々を救済する、との意味であるようだ。

 

観音様はかく斯様に人々に寄り添い、救済してきたが、中国の観音信仰は日本よりも遥かに強い。浙江省寧波の沖合に舟山群島があり、その中の一つの島、補陀山は、中国における一大観音霊場になっている。自分も嘗てこの島へ行ったが、そこには10幾つもの大小様々なお寺があり、すべてそのご本尊は観音様だ。島の大きさは高野山の100倍ほど、島全体が宗教都市になっていて、その広さ、大きさ、華麗さは高野山の比ではない。世界中に散らばっている中国人からの帰依、寄進が集まってきているのだろう。経済的な豊かさは日本の比ではない。

 

補陀落と補陀山。最初にこの島に観音信仰を植え付けたのは、奈良時代、中国で修業した日本人僧侶が、帰国の船が難破し、この島に辿り着いてからが始まりと言われている。その後、日本で始まった補陀落信仰。ここ観自在寺の二つ手前、足摺岬にある三十八番霊場補陀落金剛福寺補陀落渡海で有名な寺である。何人もの僧侶がたらい船に乗って補陀落を目指して行った。海に近いこの寺からも観音霊場を目指し、渡海して行ったかも知れない。海の向こうに救いがあると。オンアロリキャソワカ聖観音

 

真言宗十三仏の石像。水をかけてお参りする。

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御荘町に続くお遍路道。この先は海だ。

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西海に沈む夕日。

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