ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(10)六波羅蜜寺を参拝後清水坂へ。

六波羅蜜寺本堂は重文であるが、昭和になって解体修理され、外見は新しい。

 

本堂内ではどこからやってきたのか、20数名の団参が心経を唱和していた。

 

本堂の前に立つ十一面観音立像。本尊は秘仏で重文だが、この像は複製。奈良法隆寺の夢殿観音程の大きさだ。

 

六道の辻の前には、小野篁菩提寺六道珍皇寺がある。六道参り、精霊迎えのお寺だ。ちなみに、六波羅蜜寺山号補陀落山

 

 

六道の辻を曲がった直ぐ先に六波羅蜜寺がある。平安末期、この辺りには平家の運上人が豪邸を構え、大小合わせてその数5000を越えたと言われているが、源平の戦い、その後の畿内騒乱で悉く灰燼に帰し、唯一残ったのがこの六波羅蜜寺である。創建は平安中期、空也上人と言われ、上人遷化後に寺の名前が今の六波羅蜜寺となった。お寺の名前六波羅蜜とは、仏教の修行、6つの段階を経て、人は波羅蜜=涅槃、南無波羅蜜多心経で言うところの涅槃の域に達することが出来る、即ち、悟りを開くことができる、とのことである。空也上人は醍醐天皇の皇子として生まれたが、衆生救済の為に出家し、全国を行脚して救済に務めたが、その上人に相応しい名前のお寺であった。

 

源平争乱でこの辺りは悉く焼け落ちたが、この六波羅蜜寺本堂だけは戦禍を免れたが、堂宇は当時のものではない。鎌倉時代になって、この場所に六波羅探題が置かれ、京都の治安本部となり、その後の室町時代本堂が修復され、現在重文となっている。昭和になってこの本堂が解体修理され、今は艶やかな朱色の外観となっている。ここは西国観音霊場の17番目の札所で、本尊は空也上人伝来の十一面観音菩薩で、その複製仏像が本道の前に立っている。折しも本堂内では観音霊場巡りの団参20数名が般若心経を唱和している。どこからやって来た団体かは知らないが、このコロナ下でも信者が集まって、やってきているのだ。自分も境内の入り口にある売店で納経帳を買い、巡礼団参の唱和が終わるのを待って本堂に上がり、御朱印を頂いた。西国観音霊場は過去数ケ寺を参拝しているが、納経帳に正式に御朱印を頂いたのは、この寺が最初になった。御朱印代は四国霊場と同額の300円。

 

本堂の裏に宝物館があり、空也上人所縁の数々の重文が展示されていて、その中には上人の口から6体の阿弥陀如来が吐きだされている有名な像もあるが、今日は時間もなく、御朱印だけを頂いて、次の清水に向かった。鴨川横の地下鉄五条駅からここまでも緩やかな上り坂だったが、この先もずっと上りになる。清水坂だ。この辺りまで来ると観光客も増えてきて、まだコロナ解禁前ではあるが、我慢仕切れない人々が、感染がやや下火になった頃合いを見て、やって来ているのだろう。着物姿で前を歩いている若い女性が二人連れでいたので、聞いて見ると横浜からやってきたお嬢さんで、着物のレンタル代は6000円とのこと。観光が解禁になって、本格始動すれば、こうしたレンタル業者も大いに潤うに違いない。清水寺に近づくと、いよいよ人も増えて、高校生が圧倒的に多い。漸く秋の修学旅行が本格化したのだ。

 

京都らしく、名刀の店もある。この辺りからずっと清水寺までは上り坂になっている。

 

清水に近づくと、観光客も増えてきた。

 

ああ、露路の向こうに八坂の塔も見える。

 

八坂の五重塔。最初の塔は白鳳時代に建てられたが、火災等により幾たびか建て替えられ、現在の塔は約600年前の室町時代のものである。