ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(9)六道の辻、地蔵尊にお参り。

緩やかな坂を上って六波羅蜜寺に向かっていると途中に古いお寺がある。ここでちょっと一休みして行こう。

 

弘法大師空海所縁の寺で西福寺という。

 

狭い境内だが、空海が彫ったと言われる子育地蔵尊が安置されている。

 

 

六波羅蜜寺は当然ながら京都六波羅にある。六波羅は歴史教科書の中に出て来る言葉で、六波羅探題の名前等で多くの日本人は知っている。鴨川の東、東山の麓周辺の土地で、平安末期、平家一族がこの辺りに屋敷を構えていたが、その後の戦乱で多くが消失し、現在残っているのは六波羅密寺だけである。平家が滅び、鎌倉時代になってから、幕府はこの付近に京都治安の取締り機関を置いたが、それが歴史書に載っている六波羅探題である。

 

1000年の都京都は幾度の戦禍に見舞われ、その都度復興を遂げたが、幸いなことに明治維新の戦禍にも、又、戦中の焼夷弾爆撃にも遭わず、町全体に古い寺社や町家が残されている。そうした古い街並みを東山に向かう緩い上り坂を歩いていると、六波羅蜜寺の手前に古いお寺がある。六道の辻の手前、弘法大師所縁のお寺で西福寺と言う。緩やかな坂ではあるが、かなり歩いてきた。一休みするには丁度良い。中に入ってどこか、腰でも下ろそう。

 

小さな境内ではあるが、空海所縁とあって、歴史は感じられる。山門を入って直ぐに本堂があり、その濡れ縁に腰を掛けさせてもらった。縁側の直ぐ前に地蔵尊阿弥陀如来が鎮座している。一休みしてお参りする。地蔵尊は子育地蔵で、空海がこの場所に地蔵尊を彫り、その後、嵯峨天皇の后が息子の親王、後の仁明天皇の病気平癒を祈っていた。以降、この地蔵は子育地蔵尊と呼ばれるようになったとのこと。

 

京都にはどこを歩いても歴史が感じられる。西福寺の隣には「不思議茶屋・バラライカ」という、何か良く分からない店の看板も出ていた。何か名前からしてロシアに関連した店だろう。随分昔、新宿にもこんな名前の歌声喫茶もあったかと思う。いずれにしても京都は昔から「革新進歩」の町で、左翼が強かった。嘗ての蜷川府政などは今でも語り草になっている。繁華街ではなく、こんな住宅地の中に、革新系を思わせる不思議茶屋があるとは、京都らしい。西福寺子育地蔵と阿弥陀如来に再度お参りし、寺の横にある六道の辻を右折し、この直ぐ先の六波羅蜜寺に向かった。

 

お寺の隣にはロシア風の名前の喫茶、バラライカという店もあった。

 

ここは六道の辻、この角を曲がった先に六波羅蜜寺がある。