ちゃおチャオブログ

日々の連続

7.7(火・曇り小雨)球磨川、甲突川、中島川、筑紫三郎。

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今日の七夕、全国的な雨模様で、楽しみにしていた子供たちには残念だ。笹の葉に結ぶ願い事は、明日はできるだろう。

九州地方は災害の地。繰り返される災害に、人の気持ちも休まらない。

もう20年程前、仕事で熊本に行った折、服部先生と不知火と球磨川を見に行こう、とレンタカーを借りて、八代の波穏やかな、内海のような海を見て、その足で人吉まで車を転がせた。暴れ川、球磨川がどんな恐ろしい形相をしているかを見る為だった。

人吉までの国道は球磨川沿いに続いていて、確かに急流で、流れも速く、川底には大きな岩石がごろごろしていたが、それ程幅広の川ではなく、この川がどんな風に暴れるのだろうか、と余り想像はできなかった。確かに両側の山が川と国道に迫っていて、川は大きな谷川のようになっていて、両側の山の斜面に降った雨は、一気に斜面を流れ落ち、谷川に集中するだろう、と思われた。

古びたJRの人吉駅を眺め、駅前の食堂で、ぼ多汁を食べ、熊本に戻ったが、今日洪水が発生したのは、この途中の急流地帯ではなく、その上流の盆地状になっている人吉市内周辺の地域だ。人吉は田舎町とは言え、この辺りの中心都市、市域も大きく、被害は甚大だ。

熊本は他に山鹿でも被害が出ているようだが、そこは山鹿音頭のある古くからの町、昔の菊地の里だ。そこに流れる菊池渓谷は清流で、観光名所にもなっていて、その下流ではウナギ漁も昔からあって、自分も山鹿で一度はうな重を食べたこともあった。あの清流の菊地川が氾濫したとは! 全く自然の暴威だ。

 

一昨年鹿児島を旅行した時、市内を流れる甲突を見たが、普通の川で、今は堤防上に遊歩道が作られ、西郷の生家跡とか、大久保卿の生家なども保存されていたが、このそれ程大きくない、自分から見たら、殆ど小さな川が以前大氾濫し、市内に大きな被害を与えた。遊歩道を歩いている限り、この川が氾濫し、洪水したことは中々想像できなかった。

 

長崎の中島川は甲突川よりも更に小さく、市内を流れる小川のようなもの、東京で言えば、高田馬場や目白辺りを流れる神田川程度の小さな川だったが、いつかの年、この川も牙を剥き、江戸時代から残されてきた石造りの眼鏡橋も流失した。長崎大洪水だ。

自分が行ったのは、その眼鏡橋が修復された後で、小さな小川を見て、この頑丈な石橋が流されるとは、全く想像もできなかった。

その時、この川の上流、2キロ程先に鳴滝があり、そのにはシーボルトが住んでいた借家もあったのだが、川筋を辿ってそこまで歩いて行き、鳴滝を見たが、それは中島川の源流の一つで、小さな滝が静かに水音を立てている程だったが、川の変貌、川の急変、全く違う姿になるのを思った。

 

東京にもある水天宮。岩田帯で有名な神社だが、その本社は久留米にあって、水天宮の裏側には筑紫三郎、筑後川の大きな川が流れている。川幅も広く水量もたっぷりだ。久留米藩主有馬様もこの川の舟運を利用して大いに栄えただろうと想像できた。

今この大河も氾濫している。尤もそれはこの下流域ではなく、上流の日田だ。この川は日田の先、英彦山に源を発し、日田の辺りは盆地になっていて流れも穏やか、鵜飼も盛んに行われているが、以前この英彦山に登った時もかなりの雨で、びしょ濡れになってしまった。この英彦山からはもう一つの流れ、山国川があって、それは福沢諭吉の故郷中津に流れ落ちるのだが、その上流の耶馬渓付近には青の洞門がある。この川も暴れ川で、川沿いの道路は幾度となく洪水の被害にあって、罪を犯した罪人が、その罪滅ぼしの為にトンネルを掘ったが、そこは今でも観光名所として残されている。

 

自分もあちこち九州を巡り、幾つもの川を見てきたが、そのどれも洪水にまつわる記憶だ。実に九州は災害の地である。

 

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