ちゃおチャオブログ

日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(9)宿毛―九十九、スクモとツクモ。

紫電改展示館の200m前方の丘の上に展望タワーが立っている。

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高さ30m程の展望タワーは現在閉鎖中だった。

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タワーの横からは西の海、ツクモが眺められた。

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今日の曇り空、海に沈む夕日が見えなくて残念だが・・。

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舌を噛みそうな言い方である。スクモとクスモとツクモとクツモ。海のもずくと海の藻屑のような斜交いの言葉で、日本語にはよくこうした言い回しがある。同義語ではないが、意味の似通った言葉。自分は今でもこのスクモ(宿毛)沖の海岸線がツクモ、則ち九十九島と思っている。実際の九十九島は長崎五島列島の手前にある群島なのだが、九十九の名称を使う地名は日本の各地に存在している。代表的な場所は外房の九十九里浜だが、他にも去年能登半島をドライブしたが、そこにも能登湾に面して九十九湾があった。白寿とはあと1年生きれば百歳になるという九十九歳の祝い歳だが、いずれにしても九十九は数えきれない程の多数を意味している。中国では数字の九が最も高貴な数字であり、日本のおいちょかぶも同様だ。

 

紫電改展示館を出て、200m程先にある展望タワーに向かった。そこは150m程の高さの岬の丘の上に立っていて、30m程のタワー展望室からは宿毛ツクモ、西海の海岸線、或いは対岸の九州も見える筈だった。だった、と言うのは、その展望タワーは現在休業中で、周辺の状況を見ると、閉鎖してからもう既に何年も経つようだった。単にこのコロナ下での臨時休業ではないようだ。多分バブルの頃、より多くの観光客誘致を当て込んで、どこか第三セクターがこのような観光用の箱物を作ったが、ブームは一時のもので、ブームが去った後は、訪ねる人もまばらで遂には巨大な箱物として、放棄されたに違いない。

 

そんなタワー展望室に上らなくても、この岬の上の高台からはツクモの海が見渡せる。入り組んだ入江、半島、大小さまざまな無人島、嘗ての西海の景色だ。日本の手つかずの自然がそこにあった。あの細長い水道を宿毛を後にした大和と、それに従う僅かの僚船、名ばかりの連合艦隊が沖縄に向けて出陣して行ったのだ。密かな行動だから、この丘の上に立って見送る人もいなかっただろう。紫電改の引き上げ作業を終わった源田実もこの丘に立って眼下の西海を眺め、海の藻屑と消えて行った同輩、部下、先人の霊を弔ったに違いない。今日の曇り空、西海に沈む茜の夕日を眺めにわざわざこの丘の上までやってくる人はいない。ここも又無人だ。夕日は見えずとも、思いは変わらない。この西の海は時空を超えて眼前に広がっていた。

 

直ぐ下の御荘町の街並みも見える。霊場第四十番観自在寺平城天皇勅願寺、御荘は天皇家の荘園として発展してきた.

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この海を眺め、様々なことが想起される。

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この港を出航し、大和は最後の死出に旅立っていった。

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無人の展望台公園。淋しさを感じ、後にした。

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