山霧に包まれた、本当に深山の寺の雰囲気だった。
-
ここは嘗て、山城だった。
-
前方の鐘楼も霧に霞んでいる。
-
本堂もどことなく威厳がある。
前年ながら、この霧の中で、瀬戸内は見えない。
午前中3ケ寺巡拝する予定が案外早く済んで、この栄福寺は4ケ所目。時間はまだお昼にはなっていない。ツアー巡礼では時間が限られていて、各寺本堂と大師堂の前でお経と真言を唱えるだけで、余計な観光とかは省いて、直ぐにも次の霊場へ向かうのだが、今回個人巡礼とは言っても、以前の徳島、高知を回ったツアー巡礼の習慣が抜けきれていないのか、先を急ぐわけではないのだが、何かサッサと済ませ、写真だけ撮って寺を後にする。この栄福寺には戦前15歳の足の不自由な少年が箱車に乗って四国巡礼をし、この寺でその足が治り、使っていた箱車と杖を奉納し、それが境内のどこかに保存展示されている筈だが、何か探す時間も惜しくなり、次の霊場仙遊寺に向かった。
四国霊場第五十八番仙遊寺はここからほど近い山の中にあり、山中のくねくねした車道を走らせ、山の高みに向かう。この山は標高300m程の作礼山と言って、古くは白村江の戦いの頃から有名で、大和百済連合軍が唐新羅の連合軍に敗れて以来、この山の山頂に出城を造り、瀬戸内に侵攻してくるかも知れない敵軍を監視し、防衛する役割を果たしていた。幸に敵軍の侵攻はなく、話し合いの結果、唐の将軍郭務悰(かく むそう)が交渉使としてやって来たが、この出城や他の監視台、瀬戸内の山の上にあった幾つもの山城は、時代とともに廃城となっていった。赤鬼、青鬼伝説は岡山地方の山城に有名だが、この四国伊予地方の山間部にも残っていた。
今回の6月21日からの四国巡礼、梅雨時で天候を危ぶみ、2種類の雨がっぱなども準備して持ってきたが、幸に連日の好天。今日は少し曇りがちで、山中のドライブ、霧がかかってきたりして、道幅の狭い山道、運転に細心の注意を払ってやってきたが、幸に対向車がいないのが助かった。20分ほど運転し、山頂の仙遊寺に到着した。本当に名前の通りのお寺。境内は霧に囲まれ、如何にも霧の中から仙人が現れ出てきそうな雰囲気だった。
駐車場の横には大きな2階建ての宿坊があるが、コロナ禍で休業中。宿坊も事務所も誰も人の気配がしない。本来の山のお寺はこんなものだろう。鳥の鳴き声は聞こえないが、コンと梢が響けば、木霊している。静寂の中の山の音。何の音かは分からないが、芭蕉が山形山寺を参詣した時の句、閑けや・・を思い出す。芭蕉の当時の山寺はどんなだったか知らないが、今の山寺は観光寺。それに比べ、この仙遊寺は本当の山寺だった。深い霧がそれを助長していたのかも知れないが・・。