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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(35)第七十九番霊場天皇寺に参拝後、国分寺へ。

崇徳上皇を祀る白峰宮の隣には天皇寺がある。

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天皇寺本堂。

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ご本尊は十一面観音菩薩だ。

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八十八ケ寺の中で十一面観音菩薩をご本尊とする霊場は十二ケ寺あり、薬師如来に次いで多い。

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第七十九番天皇寺はその名前にある通り、隣接する場所の白峰宮に祀られている崇徳天皇上皇に由来している。弘法大師がこの寺を七十九番札所に指定した時点では、摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいんみょうじょうじゅじ)と呼ばれていたが、その後、平安末期に保元の乱崇徳上皇が破れて、この地に配流となり、現在の寺の隣に仮御所が造られ、この地で崩御した。上皇崩御後に、この場所に白峯神宮(現在は白峰宮)が建てられ、寺はこの宮の別当寺となり、それまでの摩尼珠院妙成就寺から今の天皇寺と呼ばれるようになった。

 

名前は天皇寺ではあるが、この寺の元々のオリジンは崇徳上皇天皇家との関係はない。いや待てよ、少しは関係あるかも知れない。時代は景行天皇の頃、この近くの海に悪魚がいて、人々を苦しめていた。そこで天皇日本武尊に命じ、この悪魚退治に向かわせた。が、88人の部下は逆に返り討ちにあって、やられてしまったのだ。処がこの寺の近くにある八十場の霊水を飲ませたところ、息を向き返し、とうとう最後には退治することができた。その後、天平年間行基がこの場所に堂宇を開創し、更にその後空海が荒廃したこの寺にやってきて、再興したとのことである。

 

ここに出てくる八十場(八十八、弥蘇場)の霊水。水漬く屍。崇徳上皇崩御された時、都からの荼毘の許可が得られるまでの二十日間、上皇はこの霊水に水漬けされて夏場の腐敗を防止した。歴史学者梅原猛に「水底の歌」という柿本人麻呂の死を題材に取った歴史ロマンの著作があるが、当時の遺体保存法として、冷たい水での水漬けはあったかも知れない。その八十場の霊泉は今でも尚滾々と湧き出ているが、その場所は白峰宮の奥の方の少し離れた場所にあり、今日の巡礼では行くことは出来なかった。今日の処は天皇寺本堂、大師堂にお参りし、次の霊場国分寺に向かうことにした。

 

 

大師堂。

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天皇寺の次に国分寺に参詣する。

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広々した境内は樹木が多い。

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これで四国4ケ国、総ての国分寺を参拝することができた。

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