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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(36)讃岐国分寺から白峯寺へ。

讃岐国分寺の境内の奥には大師堂が見える。

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この大師堂には納経所の室内から礼拝することになる。

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  • 大日如来建立の浄財を募っている。

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    奈良朝時代の各国国分寺は、その国の都、国都・官衙に近い場所に建てられた。武蔵国分寺が府中市の郊外にあるのは、その頃の東京23区は東京湾が入り込んでいた沼沢地で、人口もまばらで、当時の武蔵国都は今の府中市にあった。相模国分寺が海老名にあるのも同様で、横浜などは幕末になってようやく開かれた町で、この海老名が当時の国都だった。前回の愛媛・伊予巡礼では松山ではなく、今治にある国分寺を巡拝したが、それは当時の国都が今治であって、松山ではなかったからだ。現在の松山は江戸時代になってから家康旗下の加藤嘉明がこの地に入府して以来の発展で、それまでは饒田津ー道後間の集落でしかなかった。

ここ讃岐の高松は微妙で、奈良朝時代の国衙は今あるこの国分寺の近く、坂出寄りにあって、現在の高松市街地中心部よりは大分西側にあったようだ。現在の高松市は江戸時代になって、今の高松港近くにお城が建てられてから、市街地が発展したようだ。現在の国分寺周辺は高松市の郊外型住宅地になっている。同じようなことは徳島、高知にも言え、現在の市の中心部からはやや離れた郊外、田舎の中にある。四国4国の国境は奈良朝時代と殆ど変わらないとしても、国都の中心部は、時代と共に移動して行ったのかも知れない。そんなことを考えながら真柏の高く茂った国分寺境内を歩き、重文の本堂に一礼し、次の白峯寺に向かった。

白峯寺は瀬戸内海に突き出た半島、五色台の山中にある。午後も大分回っているが、時間はまだ大丈夫だろう。残りは8ケ寺。ここを今日中に参拝しておけば、明日中には88ケ寺の達成は可能だ。半島の山中を縫うように走るドライブウエイ・五色台スカイラインをお寺に向かって急いだ。この寺には来ていないが、五色台は一度来たことがある。もう40年近く前、車でやってきた。確かその時走ったのもスカイラインだった。高松出身の知人がいて、見合いのような話を勧められ、高松までやってきたのだ。自分もまだ30前で、見合いというか観光気分でやってきた。その夜は高松郊外の彼女の自宅に泊めてもらった。空港で借りたレンタカーで翌日は吉野川土手の道路をドライブし、栗林公園を見て、その後、この五色台にやってきた。今半島のドライブウエイを運転していても、当時の記憶は殆どない。半島の高台の見晴らし台から、瀬戸内に沈む太陽を見て、随分綺麗な風向だとの僅かな思い出しか残っていない。

八十一番白峯寺は山中のスカイラインから枝分かれした道路を少し下った先にあった。あの時はお寺には寄っていなかった。今日が初めてだ。崇徳上皇が祀られているお寺。当時は読書量も少なく、今ほど寺社には関心を持っていなかった。山の中のお寺。と言っても、今までのような太龍寺鶴林寺岩屋寺雲辺寺のような全く人里離れた山中の孤寺ということはなく、近くの坂出や高松の住宅地はそれ程遠くはない。それでも五色台という自然林の中の山中にあるお寺。矢張り塵芥を離れた聖地と言った趣はある。境内に入る手前から、真っ赤に燃えた紅葉が丁度ピッタリの見頃を迎えていた。

 

紅葉のぴったりの時期に当たった。

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  • 見事な紅葉だ。

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    別格本山の由緒あるお寺。崇徳上皇が祀られている。

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    境内は紅葉に彩られている。

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