ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(44)五色台、根香寺周辺の景色。

  • スマホで撮った根香寺の紅葉。

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    • この石段の上に根香寺の本堂、大師堂がある。又、次に来ることはあるのか・・。

      f:id:commodore:20210111215501j:plain根来寺の奥は五色台の深い木立である。

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      • 前方、高松市街地の先に台状の屋島が見える。正面は高松築港の高層ビルだ。f:id:commodore:20210111215648j:plain

      • 自分は今でもこの五色台を半島と思っているが、地元の案内文などでは単に「台地」と呼んでいる。確かに半島にしては海に突き出る出っ張りの部分が少なく、むしろ単に「岬」程度かも知れないが、自分は以前瀬戸内横断自動車道を通って岡山からやって来た時、海上から見た五色台は隆々とした山容の塊で、その時以来、ここは半島だと認識している。まあ、学者の言うことはどうであれ、自分の認識はそういうもので、この半島は右半分を高松が、左半分を坂出で分け合い、両市の境界線、即ち分水嶺となっている。

四国霊場白峯寺も又今参拝し終えたばかりの根香寺も深い山中にあり、これが僅かな300-400mの低山とは思えない木立の中にあったが、だが、根香寺を出て少し見晴らしの良い場所に出ると、直ぐ目の前に海があって、直ぐ真下には街並みも迫ってきていて、それ程深い深山幽谷の中にあるお寺ではないということは理解できる。白峯寺から良く見えた瀬戸内高速道の大きな橋梁もこちらサイドの根香寺からは全く見えず、海峡には無数の小島が点在しているだけだ。

小さな島の多くは無人島だろう。こんな小島を一つ所有し、掘立小屋か何かを立てて、他人と隔絶した生活を送るのも面白いかも知れない。その時、テレビと携帯はどうするか・・。電波はどこにいても届いてくる。人である以上、全く人と係わりのない生活はできないかも知れない。革命前のキューバで、パパヘミングウェイは人里離れたハバナの浜辺の掘立小屋で、ラヂオと猟銃は最後まで手放さなかった。ラヂオは大好きな大リーグ、NYヤンキースの中継を聞く為であり、猟銃は後日自殺する為のものだった。

高松の市街の向こう側には屋島の台地が見える。これこそTable Mountain,テーブル状の平らな山頂だ。以前高松の市街地から見た時には感じられなかった山頂も、同じような高さの五色台から眺めると、その形状は良く見える。所謂卓状台地だ。屋島と呼ばれる以上、ここは島だった筈だが、今は地続きになっている。源平戦争の頃、神戸一の谷を追われた平家はこの島に逃れ、態勢を立て直そうとした。しかし息つく暇もなく、義経に率いられた源氏勢に追い打ちをかけられ、無残にも敗残した。何人かの平氏の集団はこの四国の山中に逃れ、落人部落を作り、皆助け合って、明治の時代に至る600年間、平和な部落で生活してきた。幻の安徳天皇宝剣を守りながら。

五色台山中の坂を下り降り、海岸線に出て、昨日は左に回って坂出方面に進んだか、今日は右に回って次の霊場高松市内にある第八十三番一宮寺に向かった。一宮寺は讃岐一宮の別当寺。高松市内の殆どど真ん中にある。上を高速道路の大きな脚橋が覆い被さっている交通頻繁な国道を走り、高松市内に入り、賑やかな大きな交差点を左に曲がると高松駅、築港駅に向かう処、その反対側の右の郊外の住宅地に向かい、少し入り込んだ先にこの寺があった。

 

寺のすぐ前は瀬戸内海だ。ここからは見えないが左手に海峡横断高速道が走っている。

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瀬戸内の島々、岡山の陸地も見える。牛窓の辺りだ。

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眼下の街並みは高松郊外だ。右手に少し築港も見えるか・・

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眼下の高松郊外と瀬戸の島々。

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こうした孤島に住んでみたい気もするが・・。

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