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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(46)一宮寺参拝後屋島寺へ。

一宮寺境内には古い石仏を集めて小山にしている供養塔もある。

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山門から続く庭は、少し京都風の趣もある。

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元総理、岸信介さんの碑文もあった。

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地獄の釜と薬師如来

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讃岐一宮寺弘法大師行基菩薩よりも古い創建で、境内に一宮御陵と言って、孝霊天皇の古びた石塔があったのには驚いた。孝霊天皇、一応実在すると言われている崇神天皇のはるか以前の所謂欠史八代時代の天皇で、果たして実在したかどうかは疑わしい、とどこかで習った覚えもある。この石塔がいつ頃のものか説明もないが、この一宮寺、元讃岐一宮神社にあり、御陵と言われてきた経緯からすると、この神社乃至土地が何らかの天皇との繋がりを思わせるものがあった。

先史時代の実在するかどうかも疑わしい石塔があるかと思えば、ここには岸信介の碑文もある。この寺と岸さんの結びつきは何なのかは分からないが、岸さんの幅広い人脈、関与には驚いた。出身も異なるし、選挙地盤も異なる。唯一の接点と言えるようなものは、岸さんの後で香川出身の大平さんが総理になったこと位で、それにしてもこの寺との関係は分からない。碑文には興味も持ったが、難しそうな漢字文で読むのも大変。嘗て岸さんが日本の政界に君臨し、こんな地方の小さなお寺までにも影響を及ぼしている珍しい被写体なので写真だけは撮っておいた。

寺の一隅には沢山の石仏が一カ所に纏められて小山となっている珍しい光景もあり、長い年月の間帰依者が奉納したであろう御仏を寺域の縮小に伴ってか、こうした形での集合体に纏めて置かれたのだろう。それから又、由緒ありそうな薬師如来の祠とその下の地獄の釜。地獄の釜についてはこの寺の言い伝えがあり、悪いことをしたおばあさんがこの祠の扉が閉まり、首が抜けなくなったという。薬師にお願いし扉が開けられ、以後改心したとのことである。寺の鐘は本来は参詣する前に撞くものだが、この寺には横門から入って来た関係で先に本堂、大師堂にお参りし、鐘撞は最後になってしまった。寺を辞去する際に一つ撞く。さあこれから屋島寺だ。いよいよ残り5ケ寺となる。

 

悪い行いをしたおばあさんの勧善懲悪のいわれが解説されている。

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本堂に一礼し、この寺を辞去する。

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最後に鐘を一つ撞く。

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さて次は第八十四番屋島寺だ。

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