ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(63)満濃池。

一度道を間違えてまんのう公園に出てしまったが、マップで確かめ、満濃池にやってきた。

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  • 巨大な水がめだ。井之頭池狭山湖よりは遥かに大きく、奥多摩湖よりも大きいかも知れない。

    f:id:commodore:20210203211658j:plain1200年前、さしも巨大なダムを建造したものだ。

    f:id:commodore:20210203211801j:plain遥か先の端は見えない。

    f:id:commodore:20210203211851j:plain満濃池略記によれば、周囲は20キロ、水深は22m、貯水量は15、400,000㎥。オリンピックプール6160杯分だ。

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高松高速道を走っていると、最初に目に付くのが高台に建つ丸亀城で、次にその近くに大きな人工池を見る。平地の中に波波と水を湛えた大きな人工池。今まで数回この近くを走り、この池が満濃池かとばかり思っていた。今日丸亀城を下城し、市役所駐車場に停めた車に戻りナビを設定すると、お城からはかなり離れた場所にある。場所は琴平町方向に走り、山間に近いまんのう町という所だ。満濃池の名前を取った町名、分かりやすい。

30分ほど車を走らせるとまんのう町の行政区分に入り、更に進んで行くと、綺麗に手入れされた自然公園に出る。まんのう公園というが、その道路は公園入口のゲートで終点となる。朝が早い時間なのか、コロナ禍で閉園となっているのか、ゲートは下ろされたままで、先には行けない。おかしい・・。金曜日の朝でやって来る車もない。スマホのマップで確認すると、池はこの公園の隣にあって、一旦今来た道を下り降り、下の交差点を左折し、再び登り返さなければならない。満濃池がこんな人里離れた山間の場所にあるとは、来てみなければ分からないことだった。

満濃池は小学校の教科書にも出ている地名で、日本人なら誰でも知っている名前だ。言わずと知れた弘法大師の一大事業で、唐から帰朝後、かの地で習得した土木技術の知識を生かし、各地に溜め池や灌漑、土木工事を行った。中でもこの満濃池が最大の傑作で、1200年前に建造されたこの飲料、灌漑目的の今でいう多目的ダムは今も利用されている。尤も、弘法大師がこの地にやってきたのは、それ以前に建造されたダムが壊れて決壊し、その修復工事の為にやってきたのだが、残念ながら大師修復のダムも後で又決壊し、鎌倉時代以来450年間決壊したままの状態で、ダムとは言えず、自然放流の単なる溜め池状態だった。江戸時代になって修復工事が行われ、以来現代に至るまで何回かの修復工事で、今目の前に見るような巨大な湖が出来上がったのだ。日本一の灌漑用貯水池。池を超えた湖水だ。

 

この小島は大師がここに護摩壇を作り、作業を祈念した。護摩壇岩。

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池の水が溢れないように水抜きの樋がコンクリで作られている。

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世界かんがい施設遺産として登録されている。

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毎年1回水抜きが行われ、この堤防下に放水される。ゆる、と呼ばれている。

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池の端には簡易観光施設などもある。

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