駐車場の先には繁多寺のこじんまりした山門が建っている。
境内は樹木が多く、市の景観樹林保護地域に指定されている。
大きくて立派な本堂だ。
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本堂に並んで大師堂が建っている。
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本堂の前で記念写真を1枚。
松山市郊外の山際には、その山裾を結ぶように、浄土寺ー繁多寺ー石手寺と3つの霊場が連なっている。浄土寺の参拝を済ませ、引き続き繁多寺に向かう。地図上では約2キロ、道路に迷わなければ5-6分の距離だ。再びナビにお寺の電話番号をインプットし、郊外の住宅地の道路を進む。昔のお遍路道は裏の山を越えて来たので、2キロ程度の距離だったが、道路を進むとなるとぐるっと回ってやってくる。この辺りまで来ると、住宅の間に田んぼが見えたり、逆に田んぼの中にそこを埋め立てた新築住宅なども建っている。昔はどこかの村だっただろうが、都市の広域化に従い、松山市に吸収合併されたのだろう。
市街地化された郊外の市道をぐるっと回ってやってきた繁多寺。ここも同じ山塊の山裾には違いないが、先の浄土寺よりは更に高台の台地上にあり、見晴らしは良い。寺の前の駐車所を下りて、お寺への石段を上がって行くに従い、周囲の景色が開けてくる。山門の前には大きな溜池があり、この池が何時ごろ出来たのか知らないが、四国の特にこの瀬戸内に面した地方には溜池が多い。昔から少雨地方で、溜池は欠かせないものだったが、古くは弘法大師の頃から、彼の指導により各地に溜池が造られた。大師自らが造成したと言われる丸亀の満濃池は有名だが、四国には昔からそうした流れがあったのだろう。
今まで見て来た2ケ寺の山門と違って、やや質素な感じの山門を潜り境内に入る。広さは前の2寺と変わらない。この寺も又行基の開創と伝えられていて、天皇家、将軍家との関係も深い。境内には樹木も多く、松山市の景観樹林地区に指定されている。本堂は大きく立派で、ご本尊は行基が彫ったと言われる薬師如来で、大師以前のこの寺の名前は光明寺と呼ばれ、山号は又今も変わらず東山瑠璃光院と呼ばれている。瑠璃光ー光明ー薬師の寺だ。
境内には珍しく石造の鳥居が立っているが、その奥には神社ではなく歓喜天を祀る御堂になっている。4代将軍家綱から奉納された歓喜天は秘仏であるが、厄除け、商売繁盛、合格祈願等で、参詣者は絶えないという。ここは又一遍上人所縁の寺でもあり、父の供養の為の三部経が奉納されている。静かな寺であったが、歴史と由緒の深い寺でもあった。山門横の藤棚からは松山市内が一望で、松山城のこんもり茂った城山も見えた。その直ぐ右手にはこれから向かう石手寺、道後などが見え、実に眺めの良い寺ではあった。