ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(64)満濃池から瀬戸大橋へ。

狭山湖にあるような取水タワーも見える。

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これ程巨大な人造湖とは、ここへ来るまで全く想像できなかった。

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良い思い出になった・・。

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坂出の瀬戸大橋に向かう途中、讃岐富士の直ぐ真下を通る。時間があって、足が丈夫なら、登ってみたい山だ。

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いつか、機会があれば来てみたい。高さ420m、高尾山よりも200mも低い。

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灌漑用貯水池としては日本一大きな満濃池から今度は日本で一二を争う長大橋の瀬戸大橋に向かう。1300年前に建設された溜め池が、今なお日本最大で、最新の技術を駆使して建設された瀬戸内3橋の一つ、日本最長橋の瀬戸大橋。この新旧二つの取り合わせが面白い。しかし人間、70過ぎ迄生きてきても、知らなかったことが余りにも多い。この満濃池一つとっても、初めて知ることが如何に多かったか・・。

そもそもこの池は、平地の中に人工的に作らた貯水池かと思っていたが、それは全くの間違いで、名前は池だが、実際は巨大な人造湖で、先ずそれに驚いた。場所は人里離れた山間の地で、川の流れが出口付近で狭まって、ネックのような状態になっている個所を塞ぎ、流水を堰き止めた方式で、水量の豊富さ、落差の高さは日光の中禅寺湖には適わないが、湖面の広さ、首の部分のネックや小袋状の湖面の形状などはそっくりだ。川を堰き止め、ダムを造る方式は、戦後各地で建設された水力発電用のダムの先駆けをなすものだ。それも1300年も前の昔に。又米国では土石を積み上げたロックフィルという方式のダムが多いが、この満濃池もその方式だ。今朝丸亀城の石垣を見て、日本の石工の技術力の高さに感心したが、1300年もの昔に今に通じるロックフィル式のダムを作っていたのだ。こんなことはここへ来るまでは全く知らなかった。

それから満濃池という溜め池は空海がゼロからスタートして建造したと思っていたが、そうではなかった。空海に先立つ100年程前に既に完成していて、その池は度々決壊し、嵯峨天皇の命で、空海が修復に当たったのだ。その空海が修復した池が今日まで綿々と引き継がれてきたと思っていたが、それも又間違いだった。彼が修復した池も後年同じように決壊し、何度か補修して利用されてきたが、約400年後には、修復不能で打ち捨てられた。それから又400年後の江戸時代になって、本格的な修復作業が行われ、現在の原型となるものが出来上がったが、この打ち捨てられた400年間、この場所は単なる川の流れになっていて、今見る池の底が地表に出ていて、畑とか民家が出来ていた。その当時、この池底の集落は、池内村と呼ばれていた。小河内とか八ッ場の集落が、ダム建設で湖底に沈んでしまうので、立ち退きを迫られたが、早くもここでは江戸時代に既にあったのだ。

空海は四国各地にお寺を建立し、その多くは現在の八十八ケ寺の霊場になっているが、この四国巡礼に来るまで、自分は空海創建の寺は現在まで同じ名前かと思っていたが、その後後年、寺号も山号も変更された寺もあった。この満濃池も同様で、自分は今日まで、空海が掘削した池が満濃池で、それはそのまま当時も今も同じ名前と思っていたが、それも間違いだった。満濃池と呼ばれるようになったのは、つい最近のことである。と言っても、明治に入ってからのことだが。空海が工事をし、完成させた当時、この池は真野池と呼ばれていた。それ以前にはこの集落の名前を取って、神野池と呼ばれていた。それからその後、万農池や萬農池と呼ばれるようになったが、最後は今の満濃池で落ち着いた。

満濃池一つ取っても、これ程多くのことはこの地にやって来なければ、知らなかったことだろう。ここへ来なければ、多分、永遠に知らずに死んでいっただろう。別に知ったからどうの、知らなかったからどうした、と言った人間本質に係わりのない事柄で、知ること自体無駄な労力かも知れない。しかし、過去1200年前に、ロックフィル方式という、現代に通じる巨大ダムを造り、周辺住民に多大な利益をもたらした一人の偉人の事績を知ることは、一日本人として、誇りに思っても良い。自分に取っては価値ある行動だった。

 

坂出の町を通り抜け、瀬戸内に面する海岸にやってきた。

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前方に瀬戸大橋の巨大な橋げたが見える。

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巨大な橋脚だ。上を道路が、下を備讃線の鉄道が走っている。

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この頃が日本が一番輝いていた時代か・・

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陽は又昇る。地球が存在し、日本人が存在する限りは・・。

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