ちゃおチャオブログ

日々の連続

呪われた東京五輪?・・第2のガダルカナルにしてはならない。

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東京五輪開催が二転三転している。本来去年の8月に開催される予定だったのだが、コロナが世界に蔓延し、開催は1年延期となった。多くの国でロックダウンが行われ、日本も又緊急事態で移動外出が制限され、飲食店等の時短営業が要請された。そうした緊急事態の中での五輪開催は到底無理な話だった。

 

1年延期された今年、コロナは終焉するどころか、国内ではいよいよその勢いを増している感はある。欧米各国はワクチンの効果で、感染者数は下火になっているが、国内ではワクチン実施が一向に進まず、未だなお医療関係者には行き渡っておらず、高齢者も僅かに数%のレベルだ。政府の掛け声は勇ましく、5月中には高齢者全員、9月中には国民全員のワクチンが確保できた、とPRにやっきになっているが、それを聞いたからと言って、国民が安心する訳ではない。医療制度の脆弱性が随所で指摘されていて、例えば沖縄の津堅島のような総人口500人程度の島であれば、即座に全員接種が可能としても、小金井のような10万人を越える人口の都市で、果たして全員に行き渡るのにはどれ程の日数がかかるのか、そうした直接市民に係わる具体的タイムスケジュールについて、河野大臣は明らかにせず、又地方自治体への指示もしていない。コロナとの戦いはワクチンと言う弾が無ければ戦えないが、その弾があったとしても、その弾を撃つ人がいなければ、それは全く猫に小判であり、意味をなさない。

 

こうした混乱の中、将来予測が殆どできない状況の中で、二階幹事長が五輪中止も有りうることを発言したのは当然のことで、至当な判断だ。それに対し丸川大臣もバッハ会長も開催中止はあり得ない、等々強気の発言を繰り返しているが、それは、どんな事情であれ、五輪は開催されなければならない、という五輪開催絶対主義の考えで、危険だ。五輪開催はこの先の感染状況、死者数、医療状況等を見たうえで判断すべきだが、そうした客観的状況を無視しての絶対開催はあり得ない話だ。

 

今回の五輪は呪われているのか? 過去戦時中の東京五輪開催予定が戦争悪化で中止になった例はあるが、1年延期は今までにないことだ。仮に今回の開催が中止になったとしたら、2500年前からスタートし、この先何年まで続けられるか、仮に1000年先まで続いたとしても、2回中止都市は東京以外にはないだろう。本来の五輪は都市開催で、前石原都知事や猪瀬さんが誘致に頑張ってはいたが、今回は何故か安倍が全面に出て、小池を押しのけて「福島復興五輪」と銘打って、自身がリオにまで乗り込み、次期開催国をPRしたが、それは本来は次期開催都市として小池がやるべきことだ。小池が何故そうしなかったのか。国からより多くの開催費用を引っ張り出す為に、その栄誉ある座を安倍に引き渡したとしか考えられない。誰の考えか安倍はスーパーマリオに 扮してリオに乗り込んだが、児戯の至りだ。そんなことをしても彼自身の人気が上がる訳ではない。五輪関係者の仲間内だけでの人気取りだ。

 

東京五輪決定に際しては、水面下の不愉快な話が出回っている。当時の竹田JOC会長がシンガポールフィクサーに2億円を渡し、票の取りまとめ依頼をしているという。国は本来厳格な調査をし、税金が買収に使われたのか、又それは2億だけだったのか、経緯を明らかにし、国民が納得した上で、開催に向かって進むべきだったのに、肝心の竹田会長が任期途中で辞任し、その間の陰の部分はうやむやに終わっている。もし、2億円買収が事実とすれば、裏金で得た東京五輪。健全な考えを持つ世界の人々にとっては不快感極まりないだろう。時の総理、安倍がこの事実をどこまで知っていたかであるが、嘘つき安倍のことだから、白を切るだろう。案外側近を通じて、彼自身が主導していたかも知れないが・・。

 

日本経済活性化の為には五輪開催は良い起爆剤になる筈だった。五輪費用に投下される兆を越える国家資金は、回りまわって日本経済にプラスに働き、又、海外からの客はインバウンドの高い経済効果を生むはずだった。しかしそれ等の期待は今ではマイナス効果しか出ていない。投下された資金は経済循環せず、このコロナ禍で、更なる追加資金が必要になり、仮に中止になれば、それ等の多額投与は水泡に帰す。借金を積み上げただけに終わるのだ。更にインバウンドは全く期待できず、それを当て込んだ宿泊業者、飲食業者などは、苦境に喘いでいる。現状での経済的観点から見れば東京五輪誘致は全く失敗したと言わざるを得ない。

 

何故こんなことになったのか。それは健全なスポーツであるべき五輪大会を自己の欲得、五輪憲章から外れた経済観点から推し進めようとした結果への、全く藪から棒の新型コロナという思ってもいなかった強敵による悪しき人間界の戒めとも捉えられないか。時の為政者は良く考えなければならない。国民にとって良いこと、国家にとって良いこと、そして世界の平和だ。五輪は世界平和の祭典であるべき処、日本の欲得で推し進めようとした、深い反省をこのコロナは国家国民に求めているのだと。

 

昨日のワシントンでのバイデン大統領との会談後の共同記者会見で、ロイター通信の記者からの「公衆衛生の専門家が疑問視する中で、東京五輪開催の無責任さ」を質問された総理は、その質問には答えずに、次の日本人記者を指名した、との毎日新聞朝刊記事があった。ここが国会の場なら総理お得意の「将来の仮定の話にはお答えできない」と突っぱねる所だが、そこはワシントン。そんな回答が許せられる筈はない。将来は不可知であり、何が起こるか分からない。それを前提にしての最大の可能性、期待値、蓋然性を語るのが国の総理の立場で、国民にはそれが悲劇であれ、楽観であれ、正しい情報を国民に与え、国民の理解を得るべきと思うが、今までの菅総理には、そうした努力の跡は見られない。今回の五輪にしても、国は都と共同で最大努力し、開催に務めるが、コロナ禍が更に悪化した場合には中止も有りうる、と、何故普通の言葉で話せなかったのか。国民はそうした英雄ではない、普通の言葉で話す総理を待ち望んでいるのだ。仮に2回もの中止に追い込まれたとしても、国民は森羅万象、人間社会にはあらゆることが起こりうる、と批難はしないだろう。

 

一番困るのは、コロナが手の打ちようもない程悪化し、国民生活の各部分に大きな弊害が出ているにも拘わらず、「五輪ありき」、「五輪絶対」で開催を押し切ることだ。負けると分かっている戦いをガタルカナルでいつまでも続け、結果2万人以上の戦病死を作り出した、最悪の大日本帝国大本営の二の舞を踏んではならないことだ。自分としては、ワクチン接種が今より以上に速やかに進み、開催までに目に見える形で感染者が減少し、国民が安心して五輪競技を楽しめる環境を希望するが、そうはならないと予測された際には、速やかに中止を決断すべきだ。それが政治責任であり、政治判断だ。国家の名誉の為に判断を誤り、国民により以上の災禍をもたらさないのが良き政治家であり、国の指導者だ。菅総理はその資質を備えていると思う。

 

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