ちゃおチャオブログ

日々の連続

石垣再訪(15)島の最北「船越」までの道中。

二日目の今日はバスで石垣最北端、終点まで行くことにした。

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バンナの丘を過ぎた直ぐの辺りに大きな製糖工場があった。この島最大で、多分唯一の工場だ。

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大きな工場だ。市内からはバンナの丘の丁度反対側にある。

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今年は早くも4月から発生している台風2号の影響で、天気は安定しない。全体は曇りだが、南国特有の天候の急変で、時々は霧雨が下りてくることもある。10時15分、バスセンターを出た石垣最北端伊原間行のバスは途中の川平湾までは昨日走った県道を通って北上する。昨日見たばかりの景色だが、今度はバスの座席を反対側に変えて、右側の景色を眺める。本当に人口の少ない島で、県立八重山病院を過ぎた辺りから石垣市域は終わって、後は畑地の中にぽつんぽつんと住宅が建っている程度だ。昨日の午後の便は一旦シナ海に面する海岸線に出て、フサキビーチ等、綺麗な浜辺に立つリゾート地を回り、海に面する唐人墓の前を通ったが、今日は午前の便で多少巡回コースが異なるのか、八重山病院からは真っすぐバンナの丘の前を通過し北上する。

 

バンナの丘を過ぎて直ぐの所に大きな工場がある。製糖工場だ。この島で唯一の工場と言っても良いだろう。広大な敷地の中に煙突が何本も立っていた。ここで働く人々は、この島のエリートだ。煙突の煙は島の唯一の工場だとの誇りも感じられ、元より島の経済を支えているのだという自信の表れのようにも感じられた。今は刈り取られているがこの工場の周辺はトウキビ畑だろう。サトウキビを刈り集め、この工場に集め天然ミネラルたっぷりの砂糖を作る。多分戦前からここで砂糖製造をしていたに違いない。その畑地の中を進み、名倉と言うこじんまりとした集落を通り過ぎ、「石垣やいま村」という観光村の前で海岸線を走る県道と合流する。この県道は昨日見た唐人墓の前の道路をそのまま海岸線沿いに北上してきた道路だ。

 

バスは30ー40分ほどで昨日下車した川平湾に到着し、元々多くもない乗客の殆どすべてがここで降りた。ここから先、終点の伊原間へ向かって発車するが、乗っているのは我々二人と中年の男性一人だけ。その男性も途中のバス停で下車し、最後まで乗っていたのは我々二人だけになった。今日この二人が乗車していなければ、運転手は空気を運んでバスを動かしていたのだ。多分、殆ど毎日そんな感じだろう。次の停留所を告げるテープ音が虚しく響き、運転手の良い子守唄にならなければ良いのだが・・。

 

川平から先は更に人家も少なく、自然の景観が残されたままの状態で風景が広がっている。左側はシナ海に広がる海と無人の浜辺だ。白い砂浜は処女のようだ。足跡のない波打ち際を素足で歩いて見たい。右側は人跡未踏のような高い山だ。5-600m以上、7-800m位はありそうだ。明らかな火山の山。円錐形が尖って天を突いている。原発の町福井の高浜町には湾を隔てた先に円錐形の山がある。日系イギリス人の青年はその景色に魅入られ、高浜に移り住んだ。、、古くは天孫降臨高天原、そこには高千穂の峰がある。この天を衝くとんがり帽子の山がここにもある。急いでシャッターを押したが、バスの動きと、外の天気で写真は上手に撮れなかった。が、眼には焼き付けた。石垣も又、火山の島だったのだ。Virgin Islandのような石垣北部の海岸線をバスに揺られて30-40分、漸く終点の一つ手前、船越にやってきた。

 

県道沿いには時々集落もあって、道沿いには小中学校もあった。

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何ていう集落か・・、奥に円錐形の高い山が見える。

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バスの窓ガラスが曇っていて、円錐形の山が綺麗に撮れない。

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終点の一つ手前、船越にやってきた。ここまでバス料金は1280円。

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