ちゃおチャオブログ

日々の連続

石垣再訪(26)竹富の「ンブフル」と「ガー」。

仲筋通りには民宿も何軒かある。

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ああ、これは12年前の記憶のある塔だ。時の塔、と言ったか・・今は広域放送のマイクが置いてある。

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通りの突き当りは小高い茂みになっている。「ンブフルの丘」だ。

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元の井戸の場所には、水道記念碑が建てられている。

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竹富小中学校から程近い場所に郵便局がある。12年前のブログにも書いておいたが、この間に建物は新装されたようだ。古い建物から今は新しく、瑞々しく、本当に簡易郵便局と言われるようなサイズの小さい簡易建物だ。島の赤瓦の住宅に囲まれた中にあって、ここだけは小粒でモダンな建物だ。先刻「ゆがふ館」で孫に書いた絵葉書を投函する。この島の消印スタンプを見ても孫には分からないだろうし、親も無頓着だ。孫が大きくなった時に話す機会もあるかも知れないが、それまで自分は長生きもしていないだろう。まあ、自己満足としてこの島から絵葉書を送ったことだけは覚えておこう。

 

この少し先の茂みの中に見覚えのある石組みの塔があった。もう殆ど遺跡か遺構のように、周りからは打ち捨てられたような感じの塔だが、その上には広域放送のマイクが置いてある。そうここは確か時計塔と言ったと思った。この塔の上に時を知らせる時の鐘があった筈だ。いや、12年前も既に鐘は取り外されて、今のマイクだったか・・でも、同じ場所に同じ形の石造の塔がまだ残っていて、ここでも又記憶が蘇った。

 

この仲筋通りは島で一番高い場所の茂みにぶつかる。丘とも言えないちょっとした隆起に過ぎないが、それでも殆どが平坦な島の中では一番目立つ場所であり、島のほぼ中央部に当たる。そこは「ンブフルの丘」という名前の茂みで、この島では「丘」の名前を付けてはいるが、高さは10mもない。海に囲まれて、高台もないこの島の人に取っては、10mの高さは丘に違いない。

 

「ンブフル」とは牛の鳴き声のことで、説明書きによれば、夜飼っていた牛が逃げ出し、その牛は「ンブフル、ンブフル」と一晩中鳴きながら角で岩を突き上げ、一夜にしてこの丘を作ったとのことである。説明書きには牛となっていて、今現在この島で飼育されているのは牛ではなく水牛ではあるが、昔の時代には牛が飼われていたのかも知れない。牛はインドヒンドゥー教では最も神聖な聖獣。肉も皮も牛乳も、インドでは糞すらも重要な資源として活用されている。この牛がいつ頃日本に運ばれて来たのか自分は知らないが、平安時代には既に牛車が使用されていたので、当然それ以前の奈良時代には運ばれてきたのだろう。馬と同時期か、或いは馬よりも早かったかも知れない。

 

この島と牛。少し奇妙な取り合わせに思えるが、案外この島は外に開けていたのかも知れない。ずうっと北、九州熊本の天草諸島の中には牛深という名前の港がある。それから又竹久夢二がこよなく愛した岡山備前牛窓。牛の付く地名と、ここ「ンブフル」の伝承。牛で繋がる共通項。牛にまつわる話に興味は尽きない。

 

この茂みの手前には古井戸があり、今は使用されていないが、石垣島からここ竹富に水道管が引かれる以前はここが島の唯一最大の水汲み場だった。沖縄方言では「ガー」と言う。「河」が訛ったものだろう。この「ガー」の横から丘の上に上る道がある。そこには物見の塔があって、以前その上から島全体を眺めた。緑に覆われた扁平な島だった。「ガー」と「ンブフル」。どこか異国に来たような語感だ。さあ、物見の塔に行ってもう一度島全体を見てみよう。

 

「ンブフル」についての説明書き。牛の鳴き声、牛がうなっている鳴いている鳴き声とのことだ。

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看板の隣に自生している島バナナはまだ青い実だ。

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ンブフルの丘の上の物見台は進入禁止になっていた。

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近くの御嶽への参道。

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