ちゃおチャオブログ

日々の連続

石垣再訪(24)花に囲まれた竹富小中学校。

仲筋通りを真っすぐ進んで行くと、竹富小中学校の正門がある。

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綺麗な花壇で彩られている様は12年前と変わらない。

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本当に詩情豊かな学校だ。

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12年前と変わらない校舎と校庭。

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ここで学ぶ子供たちは、心豊かであるに違いない。

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竹富島にやってきた目的の一つには、この島の町中にある竹富小中学校を再訪したいことだった。当時、学校の正門入り口は綺麗な花壇で飾られていて、その後この学校がどうなっているかに関心があった。もう一度あの花壇の学校を見たい気持ちもあった。仲筋通りを少し行った先に学校があり、その正門は12年前と変わらず、今も同じように綺麗な花壇で飾られていた。12年前のいろいろな情景が思い出された。2009年2月、この時、学校を訪れた時のブログ記事;

 

竹富島の中心地区は島の中央の少しばかり盛り上がった周囲300m四方位の僅かなものであるが、それでも高さ5ー6m程の小高い木立と、直ぐのその下にある古井戸。琉球方言で確か「ガー」と言ったと思うが、その井戸。今は本島から水が供給されているので、この井戸も殆ど水が枯れてしまっているが、嘗ての島の住人の井戸端会議の場所。

それから古風な書体の郵便局に貸しサイクリング店。「時の鐘」のコンクリート楼台。いつお客さんが来るのか分らない雑貨屋さん。ミンサー織の着物の似合う民宿の小母さん、などなど。その中でも最も目が引かれたのは、「竹富小中学校」の正門と校庭。サンゴ石をあしらった校門は色取り取りの綺麗な花で飾られ、恰も楽園にある学校のようである。思わず写真を撮り、惹きつけられるようにして校内に入り、芸術感溢れる校舎の写真を撮っていた。

その時、職員室の中から、「誰ですか?」「何の用事ですか?」と声を掛けられ、誰何されたのを良い機会に、どうもこの学校の教頭か校長先生らいしい50前後の女性の先生に学校について聞いてみた。

「全校で36名の生徒・児童がいます。」「内、中学生は6名です。」

当方の「矢張り過疎化の波で、この学校も昔と比べると生徒数も大分減っているでしょうね。」との問いかけに、「いや、去年は3名の小学生が増えました。」と、嬉しそうに、又誇らしげに答えていたのが、いつまでも脳裏に残った。

人口300名足らずの小さな島で、人が増え、入学児童も増えるということは、島民全ての喜びであるに違いない。この校舎も校庭もそうした島民の願いが凝縮された形で、光り輝いていたのかと思い、改めて純朴な島の学校を眺め入った。」

 

12年前のこの学校を見た時の直截の気持ちをその時のブログに記載したが、その気持ちは今も変わらない。ただ、少し変わった点と言ったら、以前は自由に校庭に入れたが、今は目立つ看板で、「部外者立入禁止」となっていて、自由に、勝手には入れなくなっている。残念だが従わざるを得ない。公邸を人の児童が並んで歩いていたが、それを写真に収め、この先にある井戸、「ガ―」の場所に向かった。

 

12年前の写真だ。

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あの時は、校庭に自由に入れたが・・。

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全く、楽園の中にありような学校だった。生徒数は今は多少は増えているか・・。

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今もそうだが、子供たちも伸び伸びしていた。自由な学園だ。

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当時のブログにはこんな風に写真解説していた。

「36名の小学生から中学生。豆撒きも浜下り(アーサー採り)も全児童、皆一緒になってやる行事だろう。
「アーサ」、海の碧さに似合う名前の「アーサー」。沖縄の海。」

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