巨大なゴロン石の前で一休みし、下山する。
下るにつれ、再び吉田の町が見えてきた。正面の山は三つ峠の山並みか・・。
富士山展望台で、ビールを飲み遅い昼食とする。
正面の富士、何回見ても飽きさせない。
山頂には登れなかったが、良い汗をかいた。下る途中、日本語の上手なフランス女性と連れの日本人が登って来た。上手な日本語に驚いたが、日本で着物の勉強をしているとのこと。フランス人形のように可愛い女性だった。更に下ると、自分よりももっと年上の高齢者が二人、山道脇の木椅子で休んでいる。頑張ってここまで登ってきたが、もう引き返そうかと相談しているとのこと。先のフランス女性の話になって、この二人も彼女と話したとことで、日本語の上手さに舌を巻いていた。こうして日本も国際化が進んで行けば、実に良いことだ。あのお人形のようなフランス美人も日本に定着するのだろうか・・。
蝉の鳴き声は相変わらずだ、見ると樹林帯は松林になっている。沢山の松が植えられていて、向こう側の稜線の方まで伸びている。自然林ではなさそうだ。これだけの広大な斜面に1本1本植林したのだから大変なことだったろう。松茸でも栽培しようとしたのか・・。これだけの広い面積に菌が着床できたら、今成金になること間違いない。そんな妄想しながら下っていると、目の前を図太い蛇が横切って行った。蛇の種類は分からないが胴体が太っている処を見ると、マムシではなさそうだ。里山に生息する蛇、青大将か何かは分からないが、毒はなさそうだった。しかし蛇は不思議な生体だ。それ程人口密度、いや、蛇密度は多くはないと思うが、どんな風にして相方を見つけ、合体し、生殖し、子孫を増やしていくのか・・。これだけ広い樹林帯の中で、鳥や猿のように鳴き声を出して、空を飛んだり、飛び跳ねたりすることも出来ず、ただ地面をするする走る回るだけで、どんな風にして相方を見つけるのか、全く不思議な動物だ。爬虫類は不思議な生態を持っている。
いろいろ空想しながら歩いていると疲れも忘れる。登った時の半分の時間も掛からず展望休憩所に着いた。先に山頂に向かって登ったので、お昼は食べていなかった。元々、山に登る予定はなく、五重塔を見ながらビールでも飲んで帰る積りだった。休憩所で正面の富士を見ながらビールを飲む。汗をかいた後のビールは特に美味しい。雲が山頂に棚引いているが、よく見ると、山頂付近の斜面から水蒸気噴煙が噴き出ているようだ。それが雲のように富士山を巻いている。富岳百景。葛飾北斎は100の景色を描いているが、富士に笠雲という絵はなかったと思う。彼は当時としてはかなり長生きで、生涯60回以上は転居したと聞いている。富嶽百景の中には山梨側から描かれた作品が3点ある。しかし今見るこの情景は「相州梅澤左」、或いは「武州玉川」の景色に似ているか・・。
ビールにワインまで飲んで、展望台からの下りは、登って来た時の倍以上の時間がかかり、千鳥足ではないが、老人の歩み。随分時間を掛けて下吉田駅まで降りてきた。次の富士急直通新宿行の特急まで少し時間があり、近くのコンビニで車内用のビールとワンカップを仕入れ、八王子駅で途中下車すべく大さんに再び電話するがつながらず、結局立川まで乗って下車。駅前の飲み屋を探したが、コロナ禍で、営業している赤提灯は限られている。数軒開いていたがどこも満員で、空き待ち。で、止む無く中華の店に入って、紹興酒を飲むことにした。今日は天気も良く、見事な五重塔と富士山を同時に眺められて、且つ、気持ちよい飲食もできた。良い1日だった。
立川の中華店で飲んだ翌日、直ぐ近くの簡易ホテルで凶悪な殺人事件が起き、大きなニュースになった。19歳の風俗の男が20歳の同僚女性を刺し殺し、止めに入った同僚男性に重傷を負わせた。男女のもつれが原因と思われるが、感情がセーブできなかったのだ。富士吉田の新倉山展望台から雄大な富士山を眺めれば、人間の卑小さも少しは理解できると思うのだが・・。
この時から既に2か月、コロナコロナの毎日で、テレビから流れるニュースは感染者数と自粛の要請。殆ど毎日貝のように閉じこもっている。そんな閉塞感の中、貝殻を抜け出るように、明日8月4日水曜日から根の国、紀州へ旅に出る。明日は高野山。つい先刻山登りの盟友上田兄の訃報を聞いた。自分と同年だ。池江さんと同じように悪性リンパ腫に罹ったが、毎日リハビリをし、回復しつつあると思っていた。去年は四国88ケ寺で彼の病気回復を祈念し、帰ってきてから電話してやった。元気に思えたが還らぬ人となった。明日は高野山奥の院で有縁の霊と一緒に彼の新霊を送ってやろう。
忠霊塔には相変わらず沢山の人が写真撮影に訪れている。
最後に五重塔を仰ぎ見て、千鳥足で下山する。