ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(50)青岸渡寺三重塔の前を下り、大滝前の食堂へ。

青岸渡寺からは三重塔の前の車道を歩いて下ることにした。

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朱色の綺麗な三重塔だ。500年程前に建造された最初の塔は信長の焼き討ちに遭い、この塔は昭和48年鉄筋コンクリートで再築されたものである。

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ここからは那智の大瀧も正面に見える。

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車道を交差するように古い参詣道が残されている。足が元気なら、当然この古道を歩くのだが・・。

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青岸渡寺境内から眺める那智の大瀧とその左手にある三重塔。実に絵になる情景だ。自然と祈る気持ちも湧き出てくる。三位一体、神仏習合。自然の造形に対する崇拝と仏教の人の教え。この青岸渡寺那智大社は、正にそれが融合したものであり、この寺は明治の神仏分離の時まで、名前はなかった。青岸渡寺とは実に明治になってから付けられた寺名である。それまでは単に那智権現、如意輪堂と呼ばれていた。4世紀、インドから渡来した裸形上人に由来するものである。如意輪観音は今のこの寺のご本尊でもある。

 

しかし青岸渡寺とは不思議な名前だ。明治の関係者が如何なる事情でこの名前にしたのは、自分には分からないが、矢張りイメージとしては、インド僧裸形上人に関連する補陀落渡海に関係するのではないかと想像する。谷を隔てた山の向こうの大瀧を補陀落と見立てれば、正にこの寺を出て滝に至り、滝行をする。諸行無常の世界だ。

 

三重塔に向かって下って行く。こちらは車道になっていて歩き易い。那智大社へ登って来た時の石段の参道を又下り降りるのはウンザリだったが、お寺の横からこんなに良い車道が出来ている。車道だから傾斜を緩やかにするためにカーブを大きくして歩行距離がその分長くなるが、それでも歩き易さの方が大助かりだ。

 

200mも下らない内に三重塔の前に出る。朱色が鮮やかだが、建造されてからは既に半世紀は経っている。最初の建立は今から500年程前の室町時代だったが、ここも又本堂同様に信長の戦禍により焼き討ちに遭い、昭和40年代になって漸く再建されたものである。神社が20年おきに朱の塗り替えが行われるように、この三重塔も同じよなサイクルで塗り替えられているのだろう。いつ塗られたのか鮮やかな朱鷺色をしていた。今はコロナ禍で堂宇の中には入れないが、内部には飛龍権現千手観音が祀られているという。

 

車道を更に300m程下った場所に少し賑やかな土産店とか食堂が数軒並んでいる場所があり、ここは大瀧に下り降りる石畳の入り口になっている。宗教に関心のない人は、ここまでやって来て上の大社とかお寺はオミットし、滝の真下に降りて、下から滝を見上げるのだ。飛沫のオゾンシャワーを浴びるのだ。自分も滝の下まで降りようとした直前辺りから雲行きが怪しくなり、雨が降って来た。熊野の雨は降りだしたら途端に土砂降りになる。急いで食堂に走り、少し早いがお昼を食べることにした。ここの名物かどうか・・、いずれは養殖だと思うが、アユの塩焼きを食べることにした。

 

今の状態ではとてもこのような危なっかしい石の古道は歩けない。

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車道の周辺には古い廃屋になった宗教施設(道教寺院)もあった。

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雨が降って来たので、大滝入り口の前にある食堂に入り、アユの塩焼き定食を食べる。

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食堂の窓の外。那智の山に雨が煙る。

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