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日々の連続

紀の国訪問記(53)熊野古道を歩き、那智勝浦港へ。

補陀洛山寺の隣には古びた神社がある。ここが熊野詣で九九社の一つ、浜の宮だ。大楠が歴史を物語る。

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お寺に並んで神社もあるが、歩き詣でが廃れた今は、神社も今にも朽ちそうだ。渚の森も、神社の裏に僅かにその形骸を残して程度だ。

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熊野古道の標識。この場所で大辺路、中辺路、伊勢路が交わった。ここから一つになって那智大社に向かう。

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暖かい土地で、南国の花も元気に咲いている。

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一口に熊野古道と言っても、都から熊野に向かうルートはいろいろとある。良く知られている大辺路、中辺路、小辺路、等のルートは、自分は名前だけ知っていて、実際はどこからどこへ抜ける参詣路なのかは分からない。名前から想像できるのは、大辺路は如何にもその名前の通り、都からは長距離の行脚を必要とするだろう、という事、又小辺路は海路南紀の港に上陸し、そこから短い距離の参詣路を歩くのだろう、という程度の知識しかない。その他にも、有田、田辺、周参見、伊勢方面からの幾つかの古道もあって、地元民にも年毎の参詣に利用されてもいたのだろう。

南紀まで海路でやってくれば、後は楽だ。先刻那智の大瀧からここ那智の浜まではバスで30分も掛からなかったが、この浜辺から歩いて行っても2時間も掛からないだろう。神武天皇がこの浜に上陸したという故事に則ってか、後世の熊野詣上皇はこの浜近くに浜の宮という仮宮を建てた。ここで潮垢離を行って那智大社に向かったと言われる。補陀洛山寺の隣に古い社が建っている。この社こそが当時の行宮、浜の宮跡であり、熊野九九王子の一つ、浜の宮王子だ。明治までは寺も神社も一体のものだった。ここが熊野古道大辺路、中辺路、伊勢路の交わる場所であり、この神社には那智大社、速玉大社、熊野本宮の3主祭神が祀られている。昔は渚の森と言われたこの周辺も神社の後ろに僅かにその形骸の林を残すのみで、唯一、神社前の参道に樹齢数百年を越える大きな楠が立っているが、これが当時の唯一の生き証人となっている。今にも朽ちそうな感じの由緒ある熊野若王子にお参りし、勝浦に戻ることにした。

来た時はバスだったが、帰りは電車で帰ることにした。地方と言っても南紀の観光地。30分も待てば次の電車もやって来るだろう。ホームの直ぐ前まで那智の浜辺が迫ってきている。先刻の親子連れはもう既にどこかへ行ってしまい、今は無人の浜辺だ。このホームも電車を待つ人は自分だけ。コロナ下とは言え、神武天皇所縁の場所が淋しい限りだ。ただこれも一過性。来年の夏には又沢山の人が行楽に、参拝にやってくるだろう。電車は松ほども無く程なくやって来て、二つ目の駅、那智勝浦で下車する。今晩の泊まり、温泉民宿小阪荘は駅から徒歩4-5分の場所。一旦チェックインし、夕食までにはまだ時間もあり、近くの勝浦港を見に行くことにした。日本一のマグロ漁港。今晩の夕食もマグロ尽くしだ。

 

  • 大きな芙蓉も咲いている。

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    宿に一旦チェックインし、夕食までの間、勝浦港に向かう。

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    ミナミマグロ、太平洋マグロの最大の水揚げ港だ。

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    港の向こうに市場がある。そこまで行って見よう。

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