ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(80)田辺街歩き。

大きな鳥居だ。これが闘鶏神社の一の鳥居かも知れない。

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参道の奥に闘鶏神社の森が見える。

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  • 鳥居の外はこの町のメインの通りだ。

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    左に進んで行くと田辺港に出るのだが、今日は時間も無く、やめて置く。

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闘鶏神社に来た時は、大通りから外れた横の近道を通ってやって来たが、帰りは少し時間の余裕もあるので、駅前大通りを通ってホテルに戻ることにした。しかし大通りを歩いて帰ると言っても、朝のこの時間開いている店は無いし、通りを歩く買い物客の姿もない。殆ど無人に近い商店街を歩いて帰ることになった。

世界遺産熊野古道大辺路の書いてある石碑の横の大きな鳥居は、大きさから言ってどうもこれが一の鳥居のようだ。この鳥居の外は、もう町の商店街の外れになっていて、駅前から続く大きな通りが一本真っすぐ通っている。田辺は和歌山で二番目に人口の多い市だ。と言っても高々8万人程度で、10万にも満たない。昭和になってからの広域合併で中辺路町や本宮町の山間部の町村を吸収合併し、組み入れてもこんな程度だ。紀州ドンファンで有名になった有田市はミカンの産地でも有名な隣町だが、市とは名ばかりで3万人にも満たない。しかし人口の点は差し置いても、黒潮の流れる気候温暖な土地で、生活はし易いのだろう。先日太地のペンションで出会ったイタリア人夫婦も居を和歌山に構えているし、テレビタレントのイーデスハンソンさんもこの町の山間部、中辺路に住んでいる。人口は少ないが、南紀地方の中心地に違いない。

一の鳥居の外は、駅前から真っすぐ伸びてきている当市のメインの大通りの端の方だ。戦前この町に最初に鉄道が引かれ、紀伊田辺駅が出来、その駅と田辺港を結ぶ直線道として、造られたに違いない。駅前の周辺から徐々に街並みが形成され、今では地方都市とは言え、立派な中央通りアーケード街になっている。街並みは綺麗で、人々の購買力も高いに違いない。日曜日朝の時間で、買い物客の姿は全く見えないが、周辺町村からの購買客もやってくるだろう。この中央通りを横切る形で、和歌山―新宮を結ぶ国道が交差しているが、この国道は更にその後から建設されたものに違いない。人通りが全くなく、映画のセットの商店街を歩いているような感じでもあるが、こうして街並みを眺めていると、町の生成の流れが分かるようである。さて、商店街の突き当りに駅前広場が見えてきた。僅かに5-6分の街歩き、何となくこの町の生い立ちが見てきたような気もした。

 

通りにはお洒落な感じのビルも建っている。

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国道と交差する十字路だ。真っすぐ行くと駅。

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駅前商店街は日曜日の朝で、まだ誰も歩いていない。正面に田辺駅が見えてきた。

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駅をバックに今まで歩いてきた通りを眺める。

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