ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(81)田辺駅前の弁慶像を見て、次の藤白神社に向かう。

紀伊田辺駅前ロータリー。日曜早朝で、タクシーを除いては人も車も出入りがない。

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駅前ロータリーには武蔵坊弁慶の大きな像が立っている。

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弁慶がこの町の出身だったとは、ここへ来るまで知らなかった。

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ホテルでの朝食。朝一番の7時に食べて、7時半の特急で居最初の訪問先、海南市に向かう。

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駅前大通りはその名前の通り、通りの正面は田辺駅だ。JR西日本紀勢線紀伊田辺駅である。ここの市名は田辺市ではあるが、同名の京都田辺市との混同を避ける為か、観光ガイド、案内書等には紀伊田辺と呼ばれている。隣の白浜は南紀白浜と呼ばれ、地政学的にはここは南紀田辺と呼ばれて然るべきと思うのだが、JR駅もそれに倣ったのか、南紀田辺ではなく紀伊田辺が正式な駅名になっている。部外者には却って混乱しそうだが、県内やこの周辺に住む人々に取っては、何ら違和感はなく、上手に使いこなしているようだ。

 

日曜日の朝、それ程ビックリするほどの早朝ではないのだが、通りを歩く人も、駅に向かう学生や通勤者の姿も全く見えない。太陽は既に高く昇ってはいるが、この町はまだ寝覚めてはいない。駅前ロータリーにはタクシーが2‐3台暇そうに客待ちをしている位だ。そのロータリーの正面に弁慶の大きな像が立っている。実際自分もこの町に来るまで弁慶が田辺の出身とは知らなかった。鞍馬山で修業していたので、京都かどこかその辺の出身者かと思っていた。武蔵坊弁慶源義経。二人の主従は歌舞伎の好古の演目になっていて、多くの人々もあの衣川での仁王立ちして死んで行った弁慶の最後の姿は記憶してるが、どこで生まれ育ったかについては殆ど知らない。

 

以前姫路郊外の円教寺を訪問した折、そこは程高い山の中腹にあって、麓からは参詣者用にロープウエイも作られているのだが、その寺にある大鐘を弁慶が一人で麓から担ぎ上げたとの解説も出ていて、そのバカ力には驚いたが、もう一つ鐘の話で言えば、琵琶湖の三井寺にある割れた大鐘も又弁慶に纏わるものだった。それやこれや、愛すべきキャラクターの弁慶との過去の出会いを思い出しながら、そろそろホテルでの朝食の時間。間もなく7時になる。部屋に戻ってチェックアウトしてから食事にして、そのまま駅に向かうことにした。今日の最初の訪問は海南市にある藤白神社だ。日本全国鈴木さんに取っては、縁もゆかりもある神社だが、世の中、案外知られていない。

 

JR田辺駅の裏側の顔。あの小山の辺りが田辺城址だろう。

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この町にはTimeもあるし、もう一度来てみたい所だ。

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最初の停車駅。直ぐ隣にある南部駅だ。

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南高梅で有名な梅の古里。空港で時間があればお土産に買って行こう。

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