ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(3)秋田沖の日本海に出て、津軽海峡を横断する。

定刻5分前に離陸したJAL機は、お台場、晴海等の上空を飛び、今は江東、隅田、葛飾の住宅地上空を飛んでいる。

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住宅地の中を川が縫っているが、墨田川かも知れない。

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これはもう江戸川上空の辺りか・・。

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ああ、遠方に富士山も見える!

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いつ、どこから見ても見目麗しい山だ。

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機の左側窓からは遠方にかすかに富士山も見える。既に機は富士山よりも高い高度を飛んでいるのだろう。山が小さく見え、山頂が下に見える。この位置から眺める富士山も珍しい。機はロールダッチするように東京東部の区部、江東、葛飾の住宅地上空を飛行し、霞ケ浦上空を飛び、一旦は太平洋上に出る。暫く三陸の海岸線に沿って飛び、岩手の上空辺りから日本列島を横断するように日本海に出る。10月の東北山地の山々は、まだ降雪前で黒々とした地肌を見せていた。

 

秋田沖から今度は男鹿半島津軽半島の海岸線を沿うように津軽海峡に出る。海峡とは言え大きな海だ。今度はこの海峡を日本海側から太平洋側に向かって洋上飛行する。元々の飛行ルートがこうなっているのか、或いはコロナ禍で、運航便数も最小で、こうした困難の中乗ってくれた乗客への特別サービスで、この様な曲がりくねった蛇行をしてくれているのか。乗客の自分に取っては実に珍しい眼下の景色だった。

 

秋田も青森も自分に取っては懐かしい地だ。丁度今頃の季節、秋の八甲田山には山の仲間7人と一緒に縦走した。長い尾根で目的の酸ヶ湯温泉に着いた時はへとへとだった。仲間6人には先に行ってもらい、温泉で待ってもらったが、1時間以上も遅れてしまって、彼等はもう既に温泉から上がって待っていた。夏の秋田は竿灯祭り。佐竹藩主何代目かの市長の元、大きな竹竿にぶら下がった大提灯が夏の夜に揺れていた。秋田大平山もよかったが、白神山地、その山頂付近に小さな山小屋がポツンと建っていた。世界的アルピニスト、自分とほぼ同い年で、もう半世紀も前にヒマラヤで還らぬ人となった長谷川恒夫が生前建てたものだ。その後五能線の線路に沿って津軽に出て、津軽富士、岩木山に登ったのも、懐かしい思い出だ。

 

機は津軽海峡を西から東に水平に移動する飛行から機首を北に向け、いよいよ函館を目指す。眼下に見覚えのある山が見えてきた。函館山だ。細長い、鶴の首のような半島の最先端、海を抑える様に立っている。機はこの山の左側を迂回するように北上し、函館市郊外の高台にある空港を目指した。

 

東京郊外。沼地が見えてきた。印旛沼か・・。

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機は列島を横断し、日本海に出た。

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ああ、どこへ向かうのか、大きな貨物船が航行している。

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今現在、津軽海峡を横断している。

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前方に見えるのは函館の市街地か・・。

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