ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.15(日・晴曇)沖縄復帰50年。

 

 

自分は戦後生まれだが、日本人の人口の中で、戦後生まれが80%以上は占めているだろう。人口統計は知らないが、沖縄が復帰した50年前、1972年以降に生まれた日本人は半分以上はいるだろう。沖縄の総人口150万人の多数は既に復帰後に生まれた県人だ。復帰前のことは親の代からの話でしか知らない。しかしこの県民の心のトラウマとして、沖縄は本土の犠牲になり、県民10万人以上が戦争の災禍に遭い、未だその被差別は、この狭い県内に圧倒的多数の米軍基地が存在している、との心の重しになっている。

何よりも、戦後も復帰後も県民所得が本土の平均7割程度しか至っていない点に、強い不満はあるかもしれない。矢張り沖縄は日本であって、日本でないような歴史と土地柄。地理的優位性を活かして、三国貿易を自由化させれば、大いに繁栄するだろう。政府のやり方は姑息だ。名護に国際研究大学を作り、外国からの学生、研究者を招いたが、もう一つ上手く機能していない。もっと大胆に、沖縄県民の夢と希望を与えるような大きな法制、制度改革をやらなければならない。思い出すに敗戦直後、与那国を舞台に密貿易なのか三国貿易なのか、一人の女傑が才覚、才能を生かし、一時期島が大いに繁栄した時期があったが、政府もそうした歴史を見直し、もう一度県民にチャンスを与えたらどうか。50年前の今日も雨で、今日も又雨だった。佐藤総理の系譜を接ぐ岸田総理、昨日は沖縄に飛び、宜野湾市役所の屋上から眼下の普天間基地を眺め、どう思ったか・・。

 

NHK井上キャスターが20年前に沖縄に勤務し、今日の式典を前に沖縄に飛び、現地中継をしていた。那覇の20年の変化をレポートしていた。自分は自分は彼の倍の40年前に沖縄にいた。返還10年後、今までの米国式右側交通から日本式の左通行に道交法が改正され、当時の沖縄はてんやわんやだった。本土の各県警から応援の警察官がわんさと沖縄にやってきた。道路通行区分変更前後の半年間、沖縄の交通事故は激減し、元々犯罪件数の少ない沖縄だったが、その犯罪も同時に激減した。良い事か悪いことが、監視が行き届けば、犯罪は減少する。

・・神は見てるぞ、は単なるお題目に過ぎないが、現実の監視カメラは犯罪防止には大いに役立つ。それが沖縄返還後の道路変更にまつわる教訓だが、政府は全く生かしていない。政治の貧困だ。