ちゃおチャオブログ

日々の連続

10.20(金・晴れ)ペンは人を殺す。



 

歌舞伎役者猿之助の裁判が今日から始まった。今年5月、両親を嘱託殺人乃至自殺ほう助し、自分も死のうとしたが死に切れず、意識もうろうとした中で自宅にやってきたマネージャーに発見され、命を取り留め、今日の裁判となった。

今日の公判で、3人の一家心中は週刊誌の報道がきっかけになったと証言。本人にはパワハラとか、ホモ行為とか、それまでに週刊誌で噂にはなっていたが、翌日発売予定の女性週刊誌の生々しい記事の内容に、歌舞伎役者としての将来を絶たれたと思ったようだ。

 

父親76才、母親75才、父親は脳梗塞でリハビリ中だったが、母親は健康で、自分より若く元気だったようだ。その母親が率先して一家心中を提唱したようだ。今となっては、母親の話を聞くことは出来ず、一人残った猿之助の話しかなく裏付ける証拠はないが、検察はそれを事実として受け止め、求刑3年を求めた。即ち、判決は執行猶予でも良いと。

殺人だったのか、幇助だったのか、見方は分かれる処だが、検察は仮に殺人だったとしても、こうしたマスコミ報道によって追い詰められた猿之助の常軌を逸した犯罪と見て、3年という軽い求刑にしたのだろう。

 

ペンは人を殺すこともある。慶応大学の校章はペンと剣だが、それは創始者福沢諭吉の思想によるものである。幕末、咸臨丸で勝海舟と一緒に米国に渡った諭吉は、自由主義社会に於ける言論の自由と、人々を動かす力を認識した。日本にも以前から瓦版という言論伝達ツールはあったが、それは小規模で、社会を動かす力にはなっていなかった。

諭吉は明治の世になって、新聞社時事新報を発行し、国論をリードした。

 

今や言論、マスコミは司法立法行政に続く第4の権力と位置付けられ、その動向は社会を大きく揺るがす力になってきた。その活字文化から更に今はインターネットの時代になって、それを握り、差配する者は絶大な権力者となっている。

旧媒体である週刊誌も未だ尚強い影響力を持っていて、週刊文春などは「文春砲」などと呼ばれ、政財界、芸能人から恐れられている。つい最近もビッグモーター、ジャニーズ、統一教会等の巨大企業が倒産乃至解体の憂き目にあっている。ペンの力は絶大だ。

 

ただそのペンも使い方を間違えると、剣と同様凶器にもなって、殺人の道具ともなり得る。個人の隠された部分を暴き、公に晒すことによって、その不名誉、不面目に耐えられない個人は、自ら死を選ぶ。報道の自由はあっても、やり過ぎはダメだ。人を殺すまでに人の裏側をえぐったら、ダメだ。

暴力を受けたら、その暴力を排除する正当防衛は当然だ。だが、やり過ぎて相手を殺してしまったら、過剰防衛になる。イスラエルハマスパレスチナの紛争。どこまでが正当防衛で、どこから先が過剰防衛か、見極めなければならない。同じようなことをバイデンも言っていた。