
ゴンタさんが以前よく言っていた。謝って済むなら警察はいらないと。確かにその通りだ。謝る以上は言葉だけでなく、それに対する弁済が伴わなければならない。誤って足を踏んだとか、意図せずお尻を触った、などはその場で謝って済むかも知れないが、人の生き死に係わるような重大過誤に関しては、謝れば済む問題でもない。
大河原化工機冤罪事件で、昨日警視庁副総監、東京地検次席検事、最高検公安部長の3人が、拘留中に亡くなった相嶋顧問の墓前を弔問し、間違いを謝罪した。違法捜査で無実の人を逮捕し、長期間勾留し、保釈も認めず、結果、相嶋さんを癌で死亡させた。
警察、検察としてはあってはならない不正義で、副総監が謝罪に訪問したのは当然だ。警察組織の不始末で副総監が直接謝罪に出向くのは過去殆ど無く、一昨日、滋賀県警本部長が冤罪事件の被害者宅へ直接出向いて謝罪したように、社会の警察に対する風当たりの強さを敏感に感じ、直接謝罪に及んだのだろう。
しかし、冒頭のゴンタさんの言ではないが、遺族としては、謝って済む問題とは思っていない。事件は捏造だったと、捜査を批判した警部補3人は階級は据え置きだが、捜査に積極的な捜査員はその後昇任した。長男は副総監に対し、「昇任した捜査員はすべて降格させるべきだ」と主張し、次席検事に対しては「起訴した検事、保釈に反対した検事は辞職させるべきだ」との主張をした。
当然の事だろう。警察、検察が自らこうした処分を行うことにより、証拠捏造により無実の人を殺してしまった、との真の意味での謝罪を行ったことになる。躊躇せずそうすることが、社会に対しての謝罪にもなるのだ。
