BTSナナの駅前の大きな空き地が整地されている。ここに又巨大な建物が建築されるに違いない。

乗換駅のホーム、サヤームから目の前にサヤームパラゴンが見える。

朝のタニヤ通り。日本語の看板が氾濫している。

こうした店名を見て、過去を思い出すかも知れない。左手にタニヤビルが見える。

サークルの稲さんからお土産でもらったラオスのシャツを着て。昨夜は夜更かしして、大分疲れ気味ですが・・。

タニヤ(ธนิยะ )、パッポン(พัฒน์พงษ์)と聞いたら、タイ好き、バンコク通の人なら直ぐにもイメージが浮かび上がるに違いない、バンコク有数の歓楽街。当方もタイへ通い始めた頃、2-3回来たことはあったが、こうした淫卑な雰囲気は余り好きになれず、こうした場所は敬遠してきたが、今日はこれからミャンマーのヤンゴンまで行く飛行機便が夕方の為、中途半端な時間が出来てしまった。
去年の秋から新たなメンバーでタイ語サークルが再開されたが、そのメンバーの一人にタニヤの好きな人、多分嘗ては通い詰めていたと思われるが、その人へのサービスではないが、朝の余った時間でタニヤを回り、様子を見てくることにした。朝と夜ではその雰囲気は大きく異なるが、大体の位置関係、ビルの場所、ネオンサインの店名など、4-5年経ってもそれ程変わらないだろう。
BTS・サラデーン駅(สถานีรถไฟฟ้า ศลาแดง)まで来て、最初はこの駅のすぐ前にある公園、ルンピに公園(สวนลุมพินี)へ行き、時間潰しでもしようかと考え、ここまで来たのだが、急遽考えを変え、朝のタニヤを歩くことにした。
タニヤセンタービルは同じ場所に同じように建っているが1階の店舗などは4-5年の間に模様替えしているようだ。喫茶店なども無くなっている。向かいのカラオケビルはそのままの形で、相変わらず日本語の文字が氾濫している。商社マン華やかし頃、社交費もふんだんに使えた頃は、全くこの通りは日本人村の感を呈していたが、低迷する日本経済、冗費も制限されて、往時の賑わいは相当に下火になってきているだろう。最後に来たのが3年前だが、その時すら既に華やかさは失われていたようだった。
シーロム通り(ถ.สีลม)の角には今でもハイネッケンのビヤホールがある。日本人村にあってここだけは日本人が敬遠し、白人に占領されていた店だ。ここの表のオープンデッキに座して、大瓶のビールを飲みながら日本人、外人、白人の通りを歩く姿を眺め、時間を過ごしたこともあった。懐かしい思い出だ。
去年の秋から新たなメンバーでタイ語サークルが再開されたが、そのメンバーの一人にタニヤの好きな人、多分嘗ては通い詰めていたと思われるが、その人へのサービスではないが、朝の余った時間でタニヤを回り、様子を見てくることにした。朝と夜ではその雰囲気は大きく異なるが、大体の位置関係、ビルの場所、ネオンサインの店名など、4-5年経ってもそれ程変わらないだろう。
BTS・サラデーン駅(สถานีรถไฟฟ้า ศลาแดง)まで来て、最初はこの駅のすぐ前にある公園、ルンピに公園(สวนลุมพินี)へ行き、時間潰しでもしようかと考え、ここまで来たのだが、急遽考えを変え、朝のタニヤを歩くことにした。
タニヤセンタービルは同じ場所に同じように建っているが1階の店舗などは4-5年の間に模様替えしているようだ。喫茶店なども無くなっている。向かいのカラオケビルはそのままの形で、相変わらず日本語の文字が氾濫している。商社マン華やかし頃、社交費もふんだんに使えた頃は、全くこの通りは日本人村の感を呈していたが、低迷する日本経済、冗費も制限されて、往時の賑わいは相当に下火になってきているだろう。最後に来たのが3年前だが、その時すら既に華やかさは失われていたようだった。
シーロム通り(ถ.สีลม)の角には今でもハイネッケンのビヤホールがある。日本人村にあってここだけは日本人が敬遠し、白人に占領されていた店だ。ここの表のオープンデッキに座して、大瓶のビールを飲みながら日本人、外人、白人の通りを歩く姿を眺め、時間を過ごしたこともあった。懐かしい思い出だ。