ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(82)帰国。

前夜はオーンさんではなく、クルワイさんに部屋に来てもらった。
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これから彼女のレッスンが始まる。
 
 
 
 
今朝の中華航空は8時台の早朝便。
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日本の空からは消えてしまっているジャンボ機もまだ就航している。
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機内で発見した凄い刺青の人。
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頭の後ろまで彫ってある。
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10日間のミャンマー旅行を終えて今日帰国する。今回の旅行はフロッグだ。年末年始にミャンマーを旅行すべくバンコクにある領事館で観光ビザを取得したが、そのビザではメーソッドからの陸路での入国が出来ず、ビザの有効期限3月末までに使用しないと無効になってしまう。そこで今回急遽再旅行した次第だった。

ネットをチェックしていたら、安売りの中華航空機があったので、直ぐに飛びついたのだが、バンコクヤンゴン間はエアーアジアの往復航空便との制約があり、ミャンマーでの十分な日程が取れず、いつもとは違ってバタバタした旅行になってしまった。特にマンダレー観光など、本来はもっとゆっくりして、オーウエルの足跡を訪ねたり、ミッチーナ、Meet Chinaまで足を延ばし、又インパールでの白骨街道、餓死街道も歩き、牟田口廉也が如何に無能で自己保身しか考えていなかった司令官だったのか、身を持って実体験したかったのだが、それも出来ずに終わってしまった。

牟田口と言えば、ヤンゴン郊外の日本兵戦没墓地に彼の顕彰碑や彼に関わる一切が置いてなかったのが、それが唯一の救いだった。無謀で無能な戦争指導者にリードされた日本人は、国民総動員で壮大な夢の世界に入り込み、夢物語が現実のものと錯覚し、結果、300万人を越える国民将兵の戦争犠牲者を生み、日本の国土を灰燼と帰した。机上の空論を現実のものと錯覚した
幼稚な戦争指導者とそれを応援したマスコミの責任は大である。

我彼の国力の差を見れば歴然であり、つい30年前の第一次世界大戦を見れば、現代の近代戦は国力の総合力の結果であるのは、誰の目にも明らかで、日本は米英仏蘭を相手に到底勝ちえないのは冷静な目で判断すれば当然の帰結であったが、自己保身、組織保存に走った戦争指導者に鼓舞された国民の多くも盲目になり、敢えて勝てない戦争に突き進み、多くの犠牲者を生み、国は外国軍に占領された。

ビルマ戦線に於いて、最大の戦争犯罪者は牟田口廉也であるが、彼はこの地に於いて戦病死した5万とも6万人とも言える将兵の犠牲者を他所に、戦犯として絞首刑にもならず、又、作戦指導の誤りを認めて自裁するでもなく、戦後の大分先までのうのうと人生を全うした。こうした戦争指導者により推し進められた今次大戦の国民将兵の犠牲は、償うに余りある。

早朝の飛行機で、朝が早いので5時にタクシーをホテル前に待たせて置き、空港に向かったが、タクシーで空港へ向かうまでの間、又は、飛行機に乗ってからの数時間、今回の旅行を反芻し、ミャンマーには今度は是非十分な時間を取って、再度旅をしなければならない、と確信し、今回の旅行を終了した。忙しいマンダレー往復旅行であったが、良い旅であった。又、来よう。
                                  了
 
 
 
 
中華航空は一旦台北の桃園空港で飛行機を乗り換える。
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小さなシャトルモノレールが空港内を走っている。
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桃園空港ショッピングラウンジの様子。
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再びジャンボ機に搭乗する。
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今日の航路はずっと圧雲に覆われ、下界が見えない。
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バンコクを出た飛行機も東京に着く頃には、既に夕方になっている。雲間に沈む夕焼け。 富士山が雲間にぽっこり見えている。
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