駅前から続く道路は新たに作られ「愛ロード」となずけらている。
岩間駅舎と「あいろーど」の表示。
先日所用で笠間に行ったが、この町に合気道の創始者植芝盛平氏を祀る合氣神社があるということはそれまで知らなかった。そもそもそうした神社があることすらの知識もなかった。それが、笠間から帰った翌日、ブログの知友の竜司さんからのコメントにより、神社の存在と、又次に行く機会があり且つ時間があれば、是非立ち寄るべきだとの指摘があった。
今日は又別件の用事が笠間であり、所用は簡単に済んだので、少し回り道にはなるが、合氣神社に立ち寄ることにした。日本全国合気道の会員が何人いるのかは知らないが、彼等に取ってこの神社は崇拝の的であり、一度は参詣してみたいと思っている場所に違いない。
常磐線特急停車駅の友部から一つ上野寄りに岩間という駅があり、神社は当駅から約300m、歩いて4-5分の場所にある。急行、特急の止まらない田舎駅は、昔はどこも半分無人に近いようなペンペン草の生える貧相なものだったが、今では常磐線沿線の駅はどこも建て替えが進み、エスカレーター、エレベーターを有する近代的な駅に変貌していて、この岩間駅もその一つだった。
日本が過去20数年、デフレ下のマイナス成長に喘ぎ、年々所得が減少していく中にあって、JR駅舎はどこも近代的な駅舎に建て替えられている。日本国内の高い鉄道運賃がこうした豪奢な支出を支えているのだが、それは日本一国の問題ではなく、国連人権擁護委員会によるMinority,Handicap者に対する保護、即ち、優しい社会環境を作って行くべき一環として、こうした公共輸送施設にはエレベーター、エスカレーターの設置が義務付けられているからであり、日本もOECDの主要メンバーの一国であり、受益者に負担を強いる形で、こうした近代設備を整えていくことはやむを得ない、当然の出費と見做されている。
そんなことを思いながらエスカレーを上り、改札を出て又エスカレーターで下り、駅の外に出ると、正面に黒光りする半身の銅像が建っている。ああ、植芝翁だ。その細身で贅肉の取れた風貌は以前竜司氏のブログの中で拝見している。一度見たら忘れ難い風貌というのがある。植芝翁もその一人だ。しかし何故こんな所に翁の像が?
その理由は後で理解できた。駅から真っ直ぐの幅広の市道が伸びている。この駅前道路はつい最近出来たばかりで、両側の歩道も充分な広さで今街路樹の里桜がこれから花を咲かせようとしている。良く見るとその街路樹の間に石柱が建っていて、そこには植芝翁の創始した合気道の神髄が写真入りで解説されている。そしてこの駅前通りは「愛ロード」と名付けられている。駅舎を振り返ってみると、「JR岩間駅・あいろーど」と表示されているのだ。合気道は愛、究極の人類愛なのだ。
岩間駅から合氣神社までの約300mの歩道には5基の石柱が建てられていて、合気道の神髄について翁が写真入りで解説している。それを一つ一つ丹念に読み、5基の石柱を全て読み終えると、この新たに造られた通りの名前が「愛ロード」で、その駅前に翁の銅像が何故建てられているのかが、即座に理解できたのだった。
最初の石柱。これは翁の合気道を創始するに当たって、最後に辿り着いた境地、即ち、「宇宙の気と人間の気」の融合であり、「合気とは愛の力の本にして 愛は益々栄えゆくべし」と書かれていた。これを読むと一瞬キリスト教の博愛主義、キリスト教伝道者と思い違いしそうな表現であるが、人の究極の行き着くところ、そこにはキリスト教も仏教も合気道も無い、「気」即ち宇宙も人もその根本は愛であり、慈しみであり、争いのないことだった。
次の石柱は「自然に生きることの強さ」であり、「常々技の稽古に心せよ 一を以って万にあたる修行者の道」とあった。自然の中で体得すべきこと、自然体、自然流での日々の稽古。塚原卜伝の鹿島新当流に通づるものだろうか。
三番目が「入り身・円転の理」で、「誠をば更に誠を練り上げて 顕幽一如の真諦を知れ」である。誠心誠意、真心を磨けば、人は如何なる状況にも即応できると言うものだろうか。
四番目は、開祖亡き後、後を継いだ弟子たちにより当会、合気道の継承と更なる発展を目指したもので、「大宇宙合気の道はもろ人の光となりて世をば開かん」であり、「開祖の志を継ぎて往かむ」との強い意志表示を表明していた。宗教であるからこそ神社も必要としたのだろうか。
最後が翁の尤も言いたかったことで、「世界に根づく合気道の心(合気即愛気)であり、「美しき この天地の御姿は 主のつくりし一家なりけり」とあった。掲げられている写真は以前どこかで拝見したものであり、まさに大宇宙との合体、顕幽一如の御姿であり、何物かを超越したものと思えた。もう既に武闘家と言うよりか宗教家としての風貌だった。
この石柱を見終えた直ぐ先の右手に合氣神社の社が木立の中に見えてきた。遠くからでもそれと分かる杉板で作られた所謂郷社と言えるような社だ。広い境内には塀はなく、人は道路のどこからでも自由に入れるようになっている。その木立の中には誰もいない。ただ目に見えない氣が充満しているようにも思えた。
神社正面に回ると、掃き清められた玉砂利には足跡もついていない。この上を歩いて社殿まで行くのは畏れ多いことであり、その手前から神明造りの簡潔な社にお祈りした。翁は大宇宙と人の気との融和を見出し神となった。以前綾部の大本教本社を参詣したことがあったが、その大きな本堂は別にしても、木立に覆われたこの簡素で簡潔な雰囲気は、どことなく似たものを感じた。
神社の前には広大な敷地があって、入口に「合気会茨城支部道場」の看板が掲げられている。ああ、ここが植芝翁が最初に打ち立てられた錬成道場なのだ。農武一体の理想の元に東京からこの地に移り住んだ翁は、ここに道場を開き、合気道の実践と共に農作に励んだが、今は周辺に住宅も立ち並び、今残るのはここ凡そ2000坪ほどの敷地でしかない。70年の歳月は庭木も大木に変えていた。
錬成の掛け声も聞こえず、敷地内を歩いている人の姿も見えないので、勝手に中に入って行くと、これも又以前の写真で見たことのある錬成道場の建物が見えた。建物に近付くと、中から一人体格の良い白人女性が出てきて、これからどこかへ外出する様子だった。当方を認めると、向こうから腰を斜めにして丁寧な挨拶をしてきた。はあー。少し驚いた。外人女性がこのような日本風のお辞儀をするとは!
話しを聞くとまだ日本語は出来ない。2週間前にスウエーデンからやってきて、6週間、約2ヶ月この道場に寄宿し、修行するとのことである。挨拶を交わし、彼女は行ってしまったが、道場の中を覗くと、もう一人別の白人女性が中にいる。道場着を着ているので、これから修行をするのか、終わったばかりなのか。先の女性同様に、床マットの上に正座し、当方に挨拶する。
偶然二人の外人女性に出くわしたが、今の日本人が忘れ去ったようなきちんとした礼儀作法で初対面の、誰とも分からない当方に挨拶する。そうした身だしなみが自然の動きとして身に付いている。少なからず驚嘆した。
彼女に出身と経験を聞くと、アルジェンチンからやってきて、今既に2ヶ月になるが、これから更に6か月この道場にいて、修練するとのことである。合気道、合気会とは無関係の門外漢が、道場内に入り込むことは畏れ多いとは思ったが、彼女の了解を得て道場内に入れてもらう。凡そ100畳ほどの広さの道場は既視感があった。正面には翁の大きな写真と神棚。そうあれは確か竜司さんのブログの中に入っていたユーチューブで見た光景か。この道場での合気道の練習風景が動画に写されていた。
ここにも氣がある。身体が震えるほどの強い氣ではないとしても、何らかの氣が漂っている。もしも彼女が身近に居なかったとしたら、より強い氣が感じられたかも知れない。多くの修練生の発する氣がこの天井、マット、杉板、木刀に移り籠められているのかも知れない。いや、正面の大きな植芝翁の写真から発する氣が死してなお発し続けているのかも知れない。精神の清浄。そんな感じの氣だった。
半ば呆訥とした思いで彼女に挨拶し、道場を出る。合気道のアの字も知らない門外者にもこの様な氣の中に生じ籠める。この道場の強い精神性が感じられた。再び合氣神社にお参りし、今度は玉砂利を踏まないで横の芝生の上を歩いて社殿の前まで進み、深々と礼をし、駅に向かった。
自分自身の心、気持ちも少しは洗われたような感覚になってこの境内の木立を横切り道路に出たが、そうか、これが竜司さんの言っていたコンクリートで塗り固められた日本の河川の見苦しさを思い出す。道路も境内も何も境界はなく、どこからでも自由に出入りできる。違いと言えば、深い木立に覆われている場所が境内で、木立を出たところが、境外だ。それが自然なのだ。
「結界」というのはそういうことなのか。氣の満ちている場所とそうでない場所。顕幽一如、氣が満ち、氣が回り、拡散していく。
駅へ戻る途中、この神社に来る前に駅前で道を教えてもらった87歳のお爺さんに再び会う。毎日この駅前の道路約2キロを散歩して帰る途中とのこと。この神社の裏側に自宅があるそうだ。長年の職業で背中が曲り、前屈みになって歩いていたが、背を伸ばしてもらい、写真を1枚所望した。80過ぎまでの自営、栗剥きとタケノコの袋詰め。今は毎日の散歩が日課。駅までの道々、話を聞いていて潮州の典座を見る思いがした。ここにもまた氣ありと。
駅から合氣神社までの約300mの歩道上には、5基の石柱が立っていて、それぞれに合気道の神髄が解説されている。これは最初の石柱で、「宇宙の気と人間の気」を解説している。
2つ目の石柱が「自然に生きることの強さ」。
3番目が「入り身・円転の理」。
4番目が「開祖の志を継ぎて往かむ」。
最後が「世界に根づく合気道の心(合気即愛気)」。
この石柱が終わると直ぐ右手に合氣神社が見えてくる。
深い木立に覆われたこの神社には塀というものがなく、どこからでも自由に出入りできる。
簡素で質朴な感じの合氣神社。
2000坪以上は有るかと思えるような広い園内だ。
敷地の中に入って行くと、白人女性に会い、スウエーデンから来た修業生とのこと。
茨城支部道場。
道場正面。
中を覗いてみる。
と、中に又別の白人女性がいて、正座での挨拶をされる。
許可を得て道場内を見せてもらう。
正面に飾られた植芝翁と神棚。
以前竜司さんのブログの中で見た光景だ。
彼女はアルジェンチンからやって来たと言う。
道場内の写真。
門下生にとっては思い出深い写真に違いない。
開祖、師範、師範代等の上位者の名札が掛っている。
この道場の精神「愛」。
と「氣」。
神社の由来記。
深い木立には愛と氣が満ちていた。
最後に87歳のお爺さん、典座に別れを告げて、ここを去る。