ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(69)龍門石窟Part6.白楽天墓苑。

香山寺の崖下と通り、白楽天墓苑に向かう。もう出口に架かる大橋も間近ない見えてきた。
イメージ 1
 
 
楽天墓苑案内図。
イメージ 2
 
 
 
ここへ来るまでは単純に墓所と想像していたが、大きな庭園風になっている。
イメージ 3
 
 
墓所というか全く手の込んだ庭園のような感じだ。
イメージ 4
 
 
ここは墓所になっているが、彼が生前住んでいた場所に違いない。
イメージ 5
 
 
 
先日民主党党首の海江田万里さんが、現在の心境並びに野党に転落した民主党の現状を漢詩に託して詠っていたが、流石鹿児島県人だけあって、素養が高い。いや、海江田さんに限らず、かなりの国会議員は漢詩をたしなんでいるに違いない。江戸期までの日本のリーダー層の教養の一つとして漢詩があったが、それ程深く日本人の中に浸透していた漢詩の素養も、明治の開国、更には戦後になってから、殆ど骨董品のように位置づけられるようになったが、それでも海江田さんのような教養人の間ではなお根強く親炙されている。

楽天、本名、白居易は、唐の時代の詩人で、李白杜甫と並び称せられる詩人であるが、長恨歌等、平安時代の日本の文学にも影響を与えていた。その白楽天が晩年住んでいた場所が、この崖の直ぐ上にある香山寺で、白楽天は別名、香山居士とも呼ばれているが、それはこのお寺の名前から採られたものである。

崖下からそのお寺の庇を眺めながら、白楽天墓所に向かう。いや、墓所と思って行ったところが、それは大違いで、墓地や墓所というよりか、天皇御料ほども大きな墓苑となっていた。日本で普通墓苑というと霊園を意味し、数多くのお墓が立ち並んでいるところが想像されるが、ここの墓苑は白楽天一人で占められている。

墓苑は全く綺麗な庭園で、小川あり、池あり、遊歩道ありで、流石漢詩の詩聖だけのことはある。このかなり広い庭園の坂を上った奥の方にお墓がある筈だが、当方足も疲れ、又、集合場所へ戻る時間も迫っていて、墓苑の入口付近を少し眺め、その雰囲気を味わっただけで、ここを後にし、帰りは電動自動車に乗って長い橋を渡り、出口の集合場所に戻ることにした。

中国の有名な史蹟は大体どこも既に世界遺産に登録されているが、そうした広大な史蹟では大体どこでもこの様な電動自動車が配備されている。勿論、無料ではなく5元~20元程度の料金が徴収されるが、お年寄りとか足が疲れた観光客には好評だ。電動者の普及は日本の観光地よりも中国の方が遥かに進んでいるように思えた。電動自動車に乗って橋を渡り、約2時間の龍門観光を終了した。最後にもう一度香山寺を眺め、白楽天に別れを告げた。

 
綺麗な庭園になっているが、足が疲れ、奥まで歩いて行くのは困難だ。
イメージ 6
 
 
電動自動車に乗って出口付近の集合場所へ向かう。
イメージ 7
 
 
電動車の上から伊河を眺める。
イメージ 8
 
イメージ 9
 
 
 
楽天が晩年を過ごした香山寺を川の反対側から眺める。
イメージ 10
 
 
約2時間の龍門石窟観光は漸く終わりとなった。
イメージ 11