ちゃおチャオブログ

日々の連続

「沖縄の4日間」(11)斎場御嶽から摩文仁の丘へ。

鍾乳石で出来た岩は馬の頭の形をしている。
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南方系ジャングルが生い茂っている。
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奇岩の割れ目の前に佇み、感興にしたる観光客。
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斎場御嶽の前で全員揃っての記念撮影。
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凄い巨岩だ。
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沖縄は日本の古い祭祀、習俗、宗教を色濃く残していて、その代表的なのがノロであり、ユタであり、今ここに立つ「御嶽」(ウタキ)である。「ユタ」とは恐山で言うところの「霊媒(イタコ)」と同じような存在で、この世とあの世の霊とを結びつける「口寄せ」で、あの世の霊がユタに乗り移り、この世の人は死んだ人との会話が可能になるのである。

「ノロ」はユタとは違って、女性の祭祀で、古来からの宗教行事を執り行っている。沖縄には「ニライカナイ」の伝説があり、神様は南方の海からやってきて、最初に上陸した島が、今目の前に横たわる「久高島」で、この島は沖縄人にとっては信仰の島で、多くのノロが今でも生活し、祭祀を行っている。

ここ「斎場御嶽」は久高島へ渡れない人々の久高島に宿る神々を祈る遥拝所になっていて、この奇岩の割れ目を潜り、久高島に向かってお祈りを捧げる風習は沖縄古来のものである。殆ど起伏の無い平らな島が水平線上に浮かんでいる。普通の人が見れば、単なる扁平の島にしか見えないだろうが、沖縄の人々にとっては、神の宿る神々しい島である。

30数年前、ここへ来た時は、周囲は草茫々の雑草が生い茂り、奇岩の割れ目の先の遥拝所まで僅かに細い踏み跡が付いていた位で、ハブが出てこないかと、恐る恐る近づいたのだったが、今は観光施設の一つとして、綺麗に整備されている。都会の人々も安心して足を踏み入れることができた。

さて「斎場御嶽」に立ち寄り、暫しの霊感に打たれ、その余韻を持って次の場所「摩文仁の丘」に向かう。ここは沖縄戦最後の激戦地。多くの民間人がこの最南端の崖に追いやられ、崖上から飛び込み、自ら命を絶ったのだった。そうした映像は米軍により撮影されていて、戦争の悲惨さ、むごさの象徴となっている場所である。
 
 
 
 
 
遥拝所から遥かに久高島を眺める。
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島は海の靄にけぶっている。
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さて「斎場御嶽」を後に、摩文仁の丘にやってきた。
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幾多の悲劇を生んだ摩文仁の丘の断崖にやってきた。
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摩文仁の丘の慰霊塔も遠くに見える。
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