なごみの塔の上からは島の周辺の家並みが見える。
沖縄に伝統的な赤瓦の屋根だ。
これは石垣空港に展示してあった写真パネル。如何にも竹富島らしい。
なごみの塔から真っすぐ行った先に小城盛の木陰が見える。左は民芸館だ。
石灰岩を積み重ねて作られた小城盛。一応はお城、グスクと呼ばれている。
崩れる危険があるのか、台地の上には登れない。
小城盛の前は大きな広場になっていて、その奥正面には忠魂碑が建っている。
「なごみの塔」展望台と言っても、高さは5mもないが、島が平坦だからこの程度の高さでも十分視界は開ける。台の上は1m四方もない狭いもので、折から雨も上がって、雨後の竹の子か、雨上がりの沢蟹のように、近くの民宿かどこかに潜んでいた観光客もぞろぞろ表に出て来た。この塔も人気の場所だから、観光客も集まって来ているのだ。台の上は3人も登ったら一杯になり、順番待ちの人が次に登るのを待っている。そうした一組にカップルがいたので、どこから来たのか聞いてみたら、岐阜県と言っていた。仲の良い所をみていると、新婚旅行でやって来たに違いない。自分も40数年前新婚旅行で東南アジアを旅行したが、20数名のツアー客の中で、同じように見られていたのかも知れない。妻は高齢の夫婦と仲良くなり、その後20数年、年賀状のやり取りをしていた。夫婦のどちらかが亡くなり、そのやり取りも終了したが。
塔の上から島内を眺め、次いでこの近くにある小城盛(クスクムイ)を見に行く。そこは石灰岩を積み上げた小高い台状になっていて、城の名前にはなっているが、見張り所であり、狼煙台だ。江戸時代、薩摩藩の要請により琉球王府が各離島にこのような火番盛(ヒバンムイ)を作り、監視所としていた。「クスク」とは琉球語で「城」を意味していて、町の名前で「中城」(ナカグスク)という地名があるが、それはこの地に首里城に匹敵する程大きなお城があったからで、幕末ペリー提督が那覇に寄港した折、この城を見て、その石組みの素晴らしさに感嘆しとの話も伝わっている。その中城と比べたらここ小城盛は城とも言えない、物見台に過ぎないが、それでも石組みを積み上げた高台は、地元の人にとってはお城に違いない。
この小城盛の前は大きな広場になっていて、その奥には忠魂碑も建っている。明治以降の戦争で亡くなった軍人の霊を祀る石碑だ。更にその奥には御嶽もあって、この場所が島の中央広場、いろいろな行事とかお祭りなどで、島の人々が集まった場所だろう。更にその手前には民芸館もあって、中にはミンサー織などが展示されているのだが、このコロナ禍で、去年からずっと閉館中のようだ。この民芸館に限らず、そこに併設されるように沖縄ソバ店などもあったが、全く人気はない。なごみの塔の周辺に幾つかる土産店や食堂も、もう何か月も閉店状態だ。コロナは人の移動を制限し、島の経済を打ちのめす。
又小雨が降って来た。歩いて帰るのは大変だ。小城盛からなごみの塔に戻り、更にその先のタクシー乗り場まで向かう。島内巡回タクシーで、それはバスのように乗降場所が決まっていて、全くバスのように運行時刻表も張り出されている。そこは竹富公民館の前にあり、公民館の前には西塘御嶽がる。この島では有名な御嶽らしい。タクシーがやって来るまでの少しの時間、その御嶽を見たり、写真を撮る。近くには鐘楼もあって、釣り鐘もぶら下がっている。沖縄の宗教、もっと勉強しておけば良かった、と今更ながら思った。
小城盛のすぐ前には拝所が作られていた。
広場の入り口に民芸館もあるが、今はコロナで閉鎖中だ。
なごみの塔周辺が一番の観光スポットだが、どこも店はコロナ禍で閉店中だ。
タクシーバスの停留所、公民館前に来た。又少し小雨が降って来た。
公民館のすぐ前には西塘御嶽と言う、廟所がある。