ちゃおチャオブログ

日々の連続

「沖縄の4日間」(13)慰霊の丘。各県慰霊碑のパビリオン。

広大な県別霊園は参詣者も少なく、静かだった。
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霊園の中には、沖縄風の休憩所もある。
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草取り清掃員が炎天下の下、黙々と作業していた。
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ああ、静岡のパビリオンが見えてきた。
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この富士山のレリーフは何十年経っても変わらない。
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沖縄の摩文仁と言えば、今次大戦の最も悲惨な場所としての、象徴的な場所である。国内旅行、国内観光が今ほど活発でなかった昭和30年代初め、早くもこの丘に各県の慰霊碑が建立されることになった。当時はまだ米軍施政下で、特別の許可がないと沖縄には渡航できなかったが、それでもこの地で戦乱に斃れた肉親を思う情は強く、各県が県単位で競うようにして慰霊碑を建て始めた。

慰霊の碑(いしぶみ)に参拝した後、次にこの奥の各県慰霊碑をお参りすることにした。同行の稲さんは以前来ているので、車で休憩しているが、我々3人は、各自の県の慰霊碑に参拝することにした。ネギさんは群馬、吉さんは新潟、当方は静岡と。

静岡のイメージは富士山を象っている。30数年前に数回来ているが、静岡の場所は分からなくても、この富士のレリーフだけは今でも鮮明に覚えている。この地で亡くなった兵隊は、先ず家族を思い、両親を思い、次に故郷を思ったに違いない。黙って富士のレリーフに向かっていると愁然とした気持ちになる。

今日は何曜日か知らないが、ここまでやってくる観光客も少ない。広い霊園の中で、草取り、清掃の作業員が黙々と作業をしている。彼等の身内の誰かも犠牲になっているだろう。沖縄県民の多かれ少なかれ、身内の誰かは戦争の犠牲になっている。今ここで祈っているネギさん、吉さんもこの沖縄ではないとしても、叔父さんや親族が戦争で亡くなっている。戦争の悲しみは、風化されるとしても、尚、人々の記憶の中に行き続けている。各県の趣向を凝らしたパビリオンになっていたとしても、その悲しみは癒えるものではない。
 
 
 
 
ああ、群馬県のパビリオンもある。
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慰霊碑に敬虔な祈りを捧げるネギさん。
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赤瓦が沖縄の灼熱に良く似合う。
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それぞれ愁然とした気持ちで各県別パビリオンの丘を下りる。
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再び碑の霊園に戻ってきた。
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