ちゃおチャオブログ

日々の連続

11.20(金・晴れ)二つの政府。

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統合される前のドイツとか朝鮮半島では同一民族でも国が分断され、最初から別々の政府が出来ていて、世界もそれを容認していた。中国と台湾も別個の国で、別個の政府が樹立されているが、共産中国はそれを認めず、中国という一つの国の中に、台湾という中央に従わない地域があるとして、世界に圧力をかけて、台湾政府を容認している国々に対し、その取り消しを求めている。日本も田中総理が中国との国交を樹立した際に、一つの中国を受け入れざるを得ない状況になって、結果、台湾との国交を遮断した。今や台湾が外交関係を有している国は、180ケ国の中で10数か国に萎んでしまっている。80ケ国以上と外交関係を結んでいる北朝鮮と比べても、全く悲惨な状況だ。ただ、世界の国々は、中国の横暴に対し、強い懸念を持って、台湾に対する同情が高まりつつある。

一つの国の中に二つの政府が同時に存在している。今でも世界のあちこちに内戦が絶えない地域、国家では、国が分断され、同じ国民同士で殺し合いを繰り返している。去年ノーベル平和賞をもらったエチオピア首相も、足元で政府軍、反政府軍の戦闘が激しさを増し、ノーベル委員会もその取扱いに苦慮している。早すぎた平和賞の授与だった。

処で世界の民主国家のリーダーとして自負している米国。大統領選挙が2週間前に終了し、多数決の論理に従えばバイデンが次期大統領に選任され、世界の首脳もバイデンに祝福の電話を入れているが、現大統領トランプは敗北を認めず、現時点でも尚大統領職であり、1月半ばまで権限を保持し続ける。トランプはあらゆる手段を駆使して、現在の大統領職に留まり続けようとし、或いは1月以降に返り咲くかも知れない。少なくとも米国では1月12日までは現職大統領と時期大統領の二つの権力が存在し、相互に牽制し、競合し、支持団体は諍いを繰り返している。現実に二つの米国が併存している感じだ。1月になって、すっきりするかどうかは分からない。その先、1月過ぎてもトランプは敗北を認めず、ホワイトハウスを去ったとしても、支持母体の上に乗って得意のツイートで指示を出すかも知れない。そうした場合、米国内に二つの異なった動きが出現し、二分化された状況はより激しさを増す。アフリカ諸国へ紛争地機のようにそれによって国内が内戦状態になるとは思わないが、強力な政治が機能しなくなる恐れは十分にある。実に困った状況だ。

 

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四国霊場最後の巡礼(4)昨夕はスペイン料理の夕食を食べ、今朝は露天風呂に入り、和定食を食べて最初の霊場へ。

ホテルの直ぐ近くにあるスペイン食堂、「Con Tapas」。

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地元出身の女性がスペイン留学の経験を生かして、小さな食堂を開いている。(前夜は写真が取れず、翌日の日中に撮影。)

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スペインのセット料理。赤ワインによく合った。カルネも美味しかった。

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朝一番に屋上露天風呂に向かう。

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先客が一人いて、自分が出る時に一人入ってきた。

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昨夕は金刀比羅宮参道入り口付近に1件飲み屋があるだけで、他にはホテル近辺にはスペイン料理店があるだけ。琴平駅前まで歩いて行けば何かの店はあるかも知れないが、4-5分歩いて行くのも面倒だ。うどんは諦めてこのスペインの店に入ることにした。「Con Tapas」。日本流に言うと「食事処」か・・。何かこんな看板はスペイン旅行中にも見たことがある。「Ristrante」よりは少し格下で庶民的なのだ。香川で最も古風な町金比羅山で、全く珍しい取り合わせだ。その組み合わせが面白い。

店内はテーブルが3席ほどの極くこじんまりした家庭的な店。客は誰もいない。奥の厨房からこの垢ぬけた店にお似合いの中年女性が出てきて、注文を取る。自分にはスペイン料理など分からないので、任せることにした。セット料理が良い、とのことで、それをお願いする。「ワインのコスパが良いですよ」と勧められ、1杯500円の赤ワインをお願いする。スペインワインの良し悪しは分からないが、ドンキに行けばボトル1本500円で買えるのだが・・。自分の舌は??凝っていないので、ドンキのワインとの然したる違いは分からなかった。

女性は画家を志し、若いころスペインに行って生活し、そんな中で料理法を覚えたとのこと。確かに家庭の料理法、味付けのようにも思える。メキシコ風のビーンズ、ピントビーンズのようなものも付いてきたが、これも又メキシカンではなく、スパニッシュとのこと。普段は東京池袋の西口辺りに住んでいて、介護の為に東京と香川を行き来していたが、今はコロナ禍で往復ができなくなり、地元の琴平に帰ってきて、日中はパソコン相手のリモートワークをしているとのことである。

店内にはロンドンテートギャラリーのカジンスキーの大きなポスターが掲げられていて、ロンドンにも数年住んでいたとのこと。もしもこのポスターがターナーの絵だったら、ワインをもう1杯追加し、イギリスやスペインの話でももっとしようかなと考えていたら、小太りの白人が若い女性を同伴してやってきて、賑やかに注文を始める。この白人はこの町に住んでいて、よく店にやってくるとのことだった。この店の常連さんだ。自分はそれを汐に店を出ることにした。帰り際、夜食用にガーリックトーストを3枚焼いて頂く。ニンニクは秋田が有名であるが、ここ琴平は2番目の生産量で、琴平ニンニクとして全国的に売り出し中とのことだった。後で部屋に戻って食べたら、確かに芳しいニンニクの香りがした。

 

ホテルの部屋は6階にあり、同じフロアーに大風呂があり、部屋に戻り、早速琴平温泉元湯に入る。この時間帯入浴客は誰もいない。大きな風呂を一人で貸し切りだ。すっきりした淡白な温泉で、どことなく道後の湯と似ている。同じ四国県内で湯質が似ているのかも知れない。風呂上がりにロング缶を飲むが、どうも寝付かれない。強い小瓶を持ってくれば良かったか・。今更着替えて隣の「Con Pasta」へ出向くのも無粋だ。それにまだ開いているかどうかも分からない。ここ数年、年々睡眠が浅くなってきているが、旅に出て枕が違うと殊更だ。いずれ寝に着くだろう。諦めて睡魔を待っているしかない。

8階にある屋上展望露天風呂の営業は朝6時から。漸く陽が明け始める頃、窓の外も明るさを帯びてくる。少し早めに行ったら先客が一人いた。小さな湯舟だが、見晴らしは良い。目の前に金比羅山が横たわっていて、その反対側は琴平の街。琴電の駅も小さく見える。ずっと遠方には讃岐富士も見える。その先には瀬戸内の海。360度の景色が見えた。今日から巡礼が始まる。露天風呂を早めに上がり、2階の宴会場で一番客で朝食を食べ、今日最初の霊場、第六十六番雲辺寺に向かう。讃岐一国二十三ケ寺の最初の霊場だ。八十八ケ寺中、標高の一番高い場所にある。

 

直ぐ目の前に象頭山が見える。

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反対側には琴平の街が広がり、琴電の駅も見える。

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町の前方には讃岐富士も見える。

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どこから見ても見栄えの良い山だ。

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ホテルの朝食。一番に食べて、第六十六番霊場雲辺寺に向かう。

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11.19(木・晴れ)大相撲終盤戦。

 

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大相撲13日目。残すところ3日となった。優勝は貴景勝照ノ富士、幕内どん尻の志摩の海の3人に絞られた。照ノ富士の勢いが強く、またまた照ノ富士にさらわれそうな不吉な予感がするが、モンゴル勢は出稼ぎにきているから、精神力が強い。二人の横綱が不在でも、代貸しが代わりにキチンと稼いでいく。

伏兵はどん尻の志摩の海で、上の二人が星を潰し合っている間、1杯を堅持して、大穴の優勝を飾るかも知れない。去年の徳勝龍の再来は有りうるかも知れない。

いずれにしても土俵は後3日。今年最後の本場所。目が離せない。

 

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四国霊場最後の巡礼(3)琴平のホテルにチェックイン。

空港から40分ほど、金刀比羅宮参道すぐ近くにあるホテルに到着。

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8階建てのかなり大きなホテルだが、今晩の宿泊は8組。

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館内もガラガラだ。

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1階ロビーも本来なら団体客で賑わっている筈だが・・

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部屋は12畳位の和室で、広々している。

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香川最初のホテルは琴平にした。ここは金毘羅宮の参道近くにあり、香川県西部地区に散在する四国霊場にも近い点があった。三豊市とか観音市に近く、又善通寺は隣町だ。ホテルは「琴平温泉湯元八千代館」という金比羅山参詣客用に造られた規模の大きな、団体客を何組も受け入れられるような8階建てのホテルだが、今はコロナ禍で客は少ない。玄関入り口に宿泊客の名前板が下げられているが、見るとそこには自分の名前も書いていあって、他に合計しても8組の宿泊しかないようだ。Go-Toキャンペーンが始まっても、金比羅参りにやってくる全国からの客はまだまだ少ない。「需要が蒸発した」、と各地の旅館ホテル業者が嘆いていたが、この大きなホテルで8組、10数人程度の宿泊客では、やって行くのも大変だろう。

空港からはナビのルート案内に従ってやってきた。30-40分、1時間もかからない距離にある。香川自体が小さい県なのだ。幸いにまだ夕刻が始まったばかりの時間帯で、道路状況も薄明かりが残っていて、不慣れな運転にもそれ程心配なくやって来られた。ナビでドンピシャ、ホテルの真ん前に到着し、チェックインする。部屋の窓からは正面に金刀比羅宮と参道が見え、この場所に2泊連泊するのは、今日か明日か明後日のいずれかの日にお宮参りをしたいと思ったからだ。今日はもう遅い時間だから無理だ。明日か明後日には時間を作って登ることにしよう。

夕食の時間にはまだ早いがどこかうどんを食べに行こう。最初にお風呂に入るとその後出かけるのがおっくうになる。先にどこかで食事してからゆっくり温泉につかろう。香川出身の総理大臣、大平正芳は地元香川に戻ってくると、まず最初に口にするのがうどんだった、と聞いている。流石にうどん県出身の総理。戦前戦後を通じ同県からの最初で最後の総理大臣だけあって、地元をこよなく愛ているのだ。さて、ホテルから1-2分先にある金刀比羅宮参道入り口までぶらぶら歩いて店を探すが、食堂らしい店は見当たらない。焼き鳥飲み屋が1-2軒開いているだけだ。立ち食いではないとしても、うどん店などは見当たらない。駅の方向に戻って歩いていくと、ホテルの直ぐ近くにスペイン料理店がある。やむを得ないか・・、琴平に来てスペイン料理とは!

 

布団に寝るのも休まれる。

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窓の外には象頭山金比羅の山が見える。

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宮も少し見えるが、宮に向かう参道も良く見える。

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明日か明後日、この参道を挑戦してみよう。

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象頭山。上は扁平に見えるが、遠方から見ると象の頭の見えるので、そんな名前が付いたとのことである。

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11.18(水・晴れ)コロナ過去最多。インフルワクチンの需要。

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コロナ禍第三波の波が全国に広がっている。各地で過去最多を記録し、全国トータルではいよいよ2000人の大台を超し、2189人となった。東京都も500人直前の493人。医師会ではこの3連休の遠出を控えるよう要請している。特に大阪が顕著だが、感染ルートを追えないケースが広がっていて、市中感染、いつどこで誰から感染するか分からないケースが増えている。危険は身近な思いも寄らない処に潜んでいる。

インフルのワクチンを打とうと思って菊池脳神経に電話したら、又ストックが切れていて、入荷予定は今月末頃になるという。その時に又電話してもらい、その際、受診日を予約して下さい、とのこと。四国旅行前に行った時は、今ストックがなく、来週初めに入荷すると看護士が言っていたが、その入荷も直ぐに終わってしまったようだ。無料ワクチンだから需要が豊富なのだろう。この時は受診予約の話はなかったが、需要が増して、歯医者並みの予約となった。いずれにしても、打っておいた良いだろう。月末に再挑戦だ。

 

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四国霊場最後の巡礼(2)高松までの空の旅。

夕刻の東京湾。前方に海ホタルが見える。

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離陸して直ぐにも海ホタルの上空を飛ぶ。

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今回は座席の選択を間違え、富士山は見えなかった。

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上空は雲が多い。

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瀬戸内の島々が見えてきた。

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羽田から高松までの飛行時間は1時間20分。四国4県にそれぞれ空港があり、徳島が確か10分くらい早く、他の3空港は大体これ位の時間だ。羽田を飛び立ってからは本州上空を突っ切るようにして西行し、瀬戸内乃至紀州水道を横断してそれぞれの空港に着陸する。ツアーの場合は旅行会社の方から座席が指定されるが、個人手配の場合は、ネットで便を予約する際に、同時に座席も指定でき、前回松山もそうだったが、今回も窓際の座席を予約する。飛行機が伊豆半島上空から伊勢湾に抜けるルートを想定し、富士山が良く見えるように右側に席を指定したのだが、想定は外れ、飛行機は富士山の北側を通過し、雪を被った富士山は全く見ることができなかった。空の旅は当たり外れがある。ずっと雲の上で、下界は全く見えず、雲しか見えない時もあるが、それでも雲の種々相に変化する形、動き、輝度、時々の稲光、等々を眺めることによって、飽きることは無い。雲の動きは正に常ならず、千変万化だ。

 

富士山は見えないものの、右手眼下に11月の日本アルプスが所々せに白いまだらも見せているが、まだ冠雪とまでは至っていない。黒い地肌のほうがまだまだ優勢だ。去年の4月、羽田から能登里山空港へ飛んだが、その時は北アルプスの真上を飛んで、純白真っ白な雪山、剣岳槍ヶ岳立山等々の百名山を眺めることができ、実に感動的だったが、今日の山波は去年程の感動はない。それでも空の上から山の形を見て、山の名前を推測することは楽しいものだ。殆どの山は登ったことのない山だが、過去に登山した山などが見えると、その時の情景を思い出す。日本は山国。如何に山が多いかは、空の上から列島を眺める度に感じ入る。無数の山並み。峰から峰に続く稜線。奥深い未踏の山のようにも見えるが、誰かがいつかは踏破しているのだろう。田中陽希のような超人は日本のどこにでも、表に出ていなくてもあちこちに存在しているだろう。果てし無く続く稜線を黙々と歩いているに違いない。空の上からは見えないが、今日も又どこかの山にそんな超人が登山をしているかも知れない。

 

6月に松山に飛んだ時は、機はもっと南寄りを飛行し、眼下に伊勢湾、琵琶湖、洛北、播磨、吉備の里山上空を飛んで、瀬戸内の横断に入ったら、大小さまざまな小島が見えて、殆ど同時に着陸態勢に入ったが、今回は街並みも余り見えず、何か単調な景色が流れて着陸態勢に入っていった。機は泉州沖の方角から着陸するのか、前方に屋島やその周辺の半島が見えて、空港着陸となった。この空港へ来るのは今回で3回目。はっきりは覚えていないが、ひょっとして4回目になるかも知れない。高松に関しては何か記憶が飛んでいる部分があるようだ。はっきり覚えているのは、去年の高知巡礼で、入ったのは高知竜馬空港で、高知の霊場16ケ寺を巡拝し、出るときは何故か高知ではなく、この高松までやってきて、この空港から離陸した。それから今から半世紀前、まだ自分が20代の後半の頃、一度やってきた。その前後にもう一度来たと思うのだが、その記憶が曖昧になっている。いずれにしても機は定刻通りに空港に着陸し、金剛杖とスーツケースを受け取って、空港ビルの外に出ると、レンタカー会社の送迎者が待っていてくれていた。時間は5時前。まだ外は明るい。

 

島影を見てもどの島かはゲスできない。

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太陽が西に沈んでいく。

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高松に近づいてきた。この台地は屋島か・・

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高松郊外の市街地。前方に瀬戸内、高松湾も見える。正面の台地状の山は屋島か・・。

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少雨の地方。溜め池があちこちに見える。

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4時50分、定刻に高松空港に到着した。

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11.17(火・晴れ)不運。康喜君死亡。

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沼津の康喜君が死んだ。死んでもう1年になるという。26歳。姪の息子で次男。姉は詳しいことを話さないが、交通事故で亡くなったようだ。姉に取っては孫だ。姪の悲しみも深く、死んだことは周りには内緒にしていたとのこと。沼津の鈴与の社員だったとのこと。最後に会ったのは高校生の頃か。加藤学園の生徒だった。その後は会っていないし、どこの大学へ行ったのか、どこの会社へ入ったのかも聞いていなかった。

姪の美貴ちゃん、ショックも大きく、落ち込みも激しかったようだ。残酷な運命。しかしそれも又運命として受け入れなければならない。

姉も今月で88歳。義兄は91歳になるという。皆あと何年生きていられるか・・。皆死は隣りあわせだ。

康喜君の死を知っていたら、四国巡礼にも祈ってやりたかった。お札には「悉皆成仏」、「病気平癒」と願っておいた。余りにも早い死。人生の楽しみの半分も経験していない。大人しく、おっとりした次男坊の顔が思い出される。

 

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