ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(51)那智飛龍神社には下らず、そのまま那智駅へ。

 

久し振りに食べたアユの塩焼きは、白身の淡白で癖のない味だった。

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雨が少し小ぶりになったので、大滝の滝壺まで降りることにした。

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那智大瀧への入り口の石碑。

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参道入り口には雨の中に鳥居が煙っている。

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今回の旅行では概ね好天に恵まれたが、今日のここ那智の大瀧に来た時点で初めて突然の大時雨に見舞われる。熊野の雨は激しいと聞いていたが、成程、聞きしに勝る雨飛沫だった。すかさず食堂に入り込み、雨休みを兼ねての昼食を取ったが、アユの塩焼き定食、久しぶりに食べるアユを食べた。イワナやヤマメのような白身の川魚だが、より蛋白に感ずる。いずれどこか近くの養魚場での養殖魚に違いないが、与えている餌とか水質で、味覚も違ってくるのか・・。

 

雨は強くなったり弱くなったりを繰り返していたが、少し弱まった頃合いを見て、大滝を見に行くことにした。食堂の前が土産物を兼ねた雑貨店になっていて、念のため傘を1本買い求める。同じような観光客で、1本300円~500円の傘が次々売れて行った。土産店に取ってはこの日の今日一番の売れ筋だろう。100円ショップで売られているようなビニール傘がその3倍程の値段で売られているのだから、利益率も大きいに違いない。

 

食堂の前に大瀧入り口のバス停があり、その先が飛龍神社へ下る入り口になっている。車道の横に鳥居があって、そこからは雨に濡れた石段がずっと先の方まで続いている。霧雨で先の方は見えないが、200m位はあるだろう。滑りやすく、ちょっと2‐3段降りただけで、先に進むのを止めた。踏ん張りの効かない今の脚力では、滑ってすってんころりんは確実だ。大きな滝壺の下まで降りて、飛龍神社で飛沫を浴びて、滝を見上げるのは諦めた方が良さそうだ。今のこの雨の飛沫を浴びればそれで十分だろう。行きはよいよい帰りは怖い。再び大雨でも降ってきたら、下から登ってくるのは難儀する。

 

知人のシャンソン歌手Takaさんは旅行好きで、世界の各地や全国を旅行している。以前Takaさんは南米イグアナの滝まで見てきたと言っていたが、世界の三大瀑布、自分もナイアガラの滝はボートで滝の下まで行き、雨あられの様な飛沫を浴びた。その大瀑布と比べたら、この那智の大瀧と言っても程は知れているだろう。いずれ又来ることがある。好天を願って次回に持ち越そう。

 

バスは大門坂の駐車場で乗客の大半を下ろし、今は自分だけになってしまった。横を流れる那智川も今は穏やかなせせらぎに過ぎないが、何年か前この川が氾濫し、多数の住民が亡くなった。今は長閑な田園地帯を走り抜け、那智の町に入り、次のバス停那智駅前で下車した。ここは無人駅ではあるが、特急も止まる。関西、名古屋方面からやってくる那智大社青岸渡寺参詣者の最寄り駅だ。駅前広場も勝浦駅と同じくらいに広々と取ってある。最盛期にはこの広場に大型観光バスが何台も並ぶのだろう。これから那智の浜辺を眺め、駅前にある補陀洛寺にお参りしてから勝浦に戻ることにしよう。

 

雨に濡れて滑りやすい石段が続いている。

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滝壺迄は100数十mも無い筈だが、石が滑りやすく、数段下った所で、下の飛龍神社まで行くのは諦めた。

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そのままバスで麓のJR那須駅まで戻る。随分広い駅前広場だ。

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ここは今日は無人駅だが、最盛期には、駅員も配置され、沢山の参詣客で賑わうことだろう。

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10.7(木・曇り)東証、漸く反発。英才教育。明日から函館。

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東証昨日まで8日連続で下げ続け、12年前の記録に並んだが、今日は漸く反発し、30年前の記録に並ばずに済んだ。巷では岸田ショック、という言葉が出回っているようで、彼の緊縮財政には警戒感が強い。更に、親戚の宮沢洋一を党税制調査会長に据えたのは、ダブルで人気を下げた。宮沢元総理の甥で、同じく大蔵官僚出身。国民を絞ることしか考えていない。国民に取っては全く希望の持てない布陣だ。この先の市場がどう動くかは不明だが、このまま下がり続ければ、自民大敗は間違いない。外交も大事だが、総理としては内政も熟知しなければ失格だ。この先の選挙結果を見て、総入れ替えすべきだろう。

 

真鍋さんの例を見るまでも無く、英才教育はこれからの日本の存亡、衰亡に係わる重要な問題だ。彼は四国の田舎の小中学で学業はいつも一番で、頭の良い子だった。地元の県立高校から東大理学部に進学し、気象関係を学んだが、大学院在学中に米国気象局に見いだされ、その後と渡米し、恵まれた環境の中で、数々の気象モデルをコンピューターシュミレーションし、90歳にして今回のノーベル賞受賞となった。

正に英才教育の見本のようなものであり、彼がこの時渡米しなければ、日本の貧しい環境の中で、埋もれてしまっていただろう。過去28人の受賞者の中で、文学、平和以外のほぼ8割は米国での研究成果に栄冠が与えられている。

天才、は天から与えられた才能である。数百万人、数千万人に一人しかいない。そうした天才を早期に見つけだし、英才教育を施し、後年、日本国家、世界の人々に貢献する。ふんだんにある国家予算が、無意味な、訳の分からぬところに費消され、最も重要な、彼の様な天才を育て、伸ばすところには使われていない。だから日本の天才は日本を飛び出して米国に渡って行く。

 

つい最近でも理科大の藤嶋元学長が中国政府に招かれ、上海理工大に移って行った。彼は光触媒の発見者で、有力なノーベル賞候補ではあるが、大きな頭脳流出だ。日本の大学の限られた予算では、充分な研究が出来ないとして、研究室のメンバーも引き連れて中国に渡った。日本政府は何をしているか! と怒りがこみ上げる。

明治の新生日本。少ない国家予算の中で、外人教師を招き、教育には最大の力を入れた。殖産興業の元になるものは教育だと。そんな中で英才を見出し、日本のリーダーとして、国を引っ張っていってもらった。今の政府、政治家はそれを忘れている。自分達だけがうまい汁を吸っていればそれでよいやと。このまま行ったら、日本が衰亡の道を歩んでいくしかない。

 

明日から函館。大沼公園まで足を延ばし、一足早い紅葉を楽しんでくる。駒ケ岳はもう既に冠雪か・・。

 

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紀の国訪問記(50)青岸渡寺三重塔の前を下り、大滝前の食堂へ。

青岸渡寺からは三重塔の前の車道を歩いて下ることにした。

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朱色の綺麗な三重塔だ。500年程前に建造された最初の塔は信長の焼き討ちに遭い、この塔は昭和48年鉄筋コンクリートで再築されたものである。

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ここからは那智の大瀧も正面に見える。

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車道を交差するように古い参詣道が残されている。足が元気なら、当然この古道を歩くのだが・・。

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青岸渡寺境内から眺める那智の大瀧とその左手にある三重塔。実に絵になる情景だ。自然と祈る気持ちも湧き出てくる。三位一体、神仏習合。自然の造形に対する崇拝と仏教の人の教え。この青岸渡寺那智大社は、正にそれが融合したものであり、この寺は明治の神仏分離の時まで、名前はなかった。青岸渡寺とは実に明治になってから付けられた寺名である。それまでは単に那智権現、如意輪堂と呼ばれていた。4世紀、インドから渡来した裸形上人に由来するものである。如意輪観音は今のこの寺のご本尊でもある。

 

しかし青岸渡寺とは不思議な名前だ。明治の関係者が如何なる事情でこの名前にしたのは、自分には分からないが、矢張りイメージとしては、インド僧裸形上人に関連する補陀落渡海に関係するのではないかと想像する。谷を隔てた山の向こうの大瀧を補陀落と見立てれば、正にこの寺を出て滝に至り、滝行をする。諸行無常の世界だ。

 

三重塔に向かって下って行く。こちらは車道になっていて歩き易い。那智大社へ登って来た時の石段の参道を又下り降りるのはウンザリだったが、お寺の横からこんなに良い車道が出来ている。車道だから傾斜を緩やかにするためにカーブを大きくして歩行距離がその分長くなるが、それでも歩き易さの方が大助かりだ。

 

200mも下らない内に三重塔の前に出る。朱色が鮮やかだが、建造されてからは既に半世紀は経っている。最初の建立は今から500年程前の室町時代だったが、ここも又本堂同様に信長の戦禍により焼き討ちに遭い、昭和40年代になって漸く再建されたものである。神社が20年おきに朱の塗り替えが行われるように、この三重塔も同じよなサイクルで塗り替えられているのだろう。いつ塗られたのか鮮やかな朱鷺色をしていた。今はコロナ禍で堂宇の中には入れないが、内部には飛龍権現千手観音が祀られているという。

 

車道を更に300m程下った場所に少し賑やかな土産店とか食堂が数軒並んでいる場所があり、ここは大瀧に下り降りる石畳の入り口になっている。宗教に関心のない人は、ここまでやって来て上の大社とかお寺はオミットし、滝の真下に降りて、下から滝を見上げるのだ。飛沫のオゾンシャワーを浴びるのだ。自分も滝の下まで降りようとした直前辺りから雲行きが怪しくなり、雨が降って来た。熊野の雨は降りだしたら途端に土砂降りになる。急いで食堂に走り、少し早いがお昼を食べることにした。ここの名物かどうか・・、いずれは養殖だと思うが、アユの塩焼きを食べることにした。

 

今の状態ではとてもこのような危なっかしい石の古道は歩けない。

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車道の周辺には古い廃屋になった宗教施設(道教寺院)もあった。

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雨が降って来たので、大滝入り口の前にある食堂に入り、アユの塩焼き定食を食べる。

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食堂の窓の外。那智の山に雨が煙る。

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10.6(水・晴れ)東証12年ぶりの8連続安。真鍋さんノーベル賞。

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東証、昨日は2年半ぶりの7日連続下げで、幾ら新内閣が不評でも、これは下げ過ぎだ。今朝のNY, Nasdaqは大幅高で返って来て、今日こそは大きな反発が期待された。予想通り200円を越える上げでスタートし、一時は300円も超えた。しかしその勢いは30分も持たず、ずるずる下げに転じ、下げの勢いは止まらない。一時は500円を越える下げで、今日も又293円下げの27,528円で終了。今日で12年ぶりの8日連続下げの記録を作る。実に安倍内閣以前の最悪記録を作った。

夜9時現在、NYダウ先物は487ドル下げ、ナスダックは210ポイントの下げ、それぞれ1.5%近くの下げだ。欧州各国はドイツの2%強を初め、各国2%近くの下げを見ている。破局が一気に襲ってきたようだ。明日の東証、9日連続の下げになるだろう。実に何年ぶりか・・。先月32年ぶりの高値を見たが、それに匹敵する大記録になる。総崩れだ。このまま市況悪化で選挙に突入すれば、自民敗退は確実になる。

 

スウェーデンから昨日大ニュースが入って来た。米国籍ではあるが日本生まれの日本人、真鍋さんが今年のノーベル物理賞を受賞する決定だ。今年90歳。50年ほど前に地球温暖化の元になるCO2の気温に及ぼす影響の研究で、表彰されることになった。長生きして良かった。この歳まで生きていなければ、ノーベル賞は貰い損ねてしまった。

本人は健康にも留意していて、未だにプールで何キロも泳ぐという。現在も尚プリンストン大学の上席研究員で、後輩を指導している。頭もしっかりしていて、この人には年寄り、とのカテゴリーは当てはまらない。愛媛県四国中央市四国霊場雲辺寺の麓の町だ。このような田舎の出身でも、人は努力すれば何者かになれる、との見本のような人だ。日本人であることを誇りに思う。

 

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紀の国訪問記(49)青岸渡寺から眺める那智の大滝。

  • 青岸渡寺の境内からは、向かいの山に落ちる大滝が見える。

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ああ、那智の大瀧だ。

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三重塔と大滝。実に絵になる。

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皆がやっていたように、自分も滝をバックに写真を撮ってもらう。

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落差133mの日本一長い名瀑那智の滝。ここ那智山青岸渡寺から正面の山、大雲取山から流れ落ちる一筋の滝。水量豊富で勢いもあり、一筋の幅広の帯が滔々と流れ落ちている。こちら青岸渡寺からは700-800m先の正面の丁度目の高さにある。熊野三山を参詣する目的の大きな一つがこの滝を見ることだった。

那智の大瀧、或いは那智御瀧。華厳の滝袋田の滝と並んで日本三大名瀑に数えられるこの滝を見にやって来る人は多い。この滝の素晴らしさは、写真とかテレビ映像で見知ってはいたが、何といっても実物を見ることに勝ることはない。日本人の多くが生涯に一度、富士山を見たいと思っている。テレビや写真、動画では何回となく見ている富士山も実際にこの山を見て、実物の富士の高さを見てみたいと思っている日本人は多いに違いない。新幹線で富士の裾野を通過し、一瞬でも実際の富士を見れば、その人にとって、もう二度と見なくてもその記憶は生涯思い出として残るだろう。

自分にとっての、この那智の大瀧は、多くの日本人が富士山に抱く憧憬と似ている。1200年前、多くの上皇が遥々ここまでやって来た。800年前、一遍上人もここにやって来た。一遍上人はこの地で修行し、生き仏になった。それよりも遥かに以前、神武天皇は東征の折り、熊野の那智の浜辺から山中に光り輝くこの滝を見て、霊感を感じここまでやって来た。その後、東征を果たすことができた。今眼前に見える大滝は3000年前の神武、いやそれ以前から同じように形を変えず今も流れて続けている。3000年間天変地異に冒されず今にある。

この寺にやってくる参詣者のほぼ全員は、境内の高台から滝をバックに写真を撮っている。良い思い出になるだろう。知人のネギさんは数年前観光でやって来て、同じようにこの滝をバックにしてプロの写真家に撮ってもらい、額装して今も居間に飾っているという。地方のお上りさんが皇居にやってきて、二重橋をバックに記念の写真を撮るように、この那智大社青岸渡寺にやって来る参詣者は、皇居前の記念写真と同じような感動で写真を撮って行く。知らず知らず両手を合わせ、念仏した。

 

  • 青岸渡寺からは遥か先に熊野灘那智の浜辺も見える。

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  • 那智山と対を成す大雲取山

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  • 神武天皇はあの浜辺から、この山の滝を見たのだ・・。

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  • この山中には30余の沢があり、60余の滝がある。それが全てここに集まって、那智川の源流となる。

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10.5(火・晴れ)岸田も矢張りダメか・・。

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東証、今日も又大きく下げ、とうとう28,000円のラインを割り込む。岸田が総理に選任されてから大きく下げ続け、この3日間で2000円以上が吹き飛んだ。中国恒大破産のショックもあるが、それ以上に大きく影響しているのは岸田の金融政策だ。昨日のNYは確かに大きく下げたが、東京はそれ以上に下げた。アジアの中でも日本だけが突出している。昨日も思ったが新政権が出来れば、普通はご祝儀相場で曲がりなりにも上げるものだが、今回は市場は完全にソッポを向いている。明らかに反岸田だ。

そもそも彼は緊縮財政論者で、宏池会前総理の宮沢の系統を引いている。これだけでも市場は拒否反応を持つが、有ろうことか、昨日の記者会見では、富裕層への課税強化、株式利益への増税、等を話したのだから、市場は即反岸田で反応した。

知恵のない総理だ。これが東大2浪早稲田ボーイの限界か・・。総理が自らこんな事を言ったらならない。総理は国民を豊かにする、所得を増やすと言い続け、国民を虐めてはならない。こんなことは財務大臣とか、お得意の副総裁辺りに言わせておけばよい。

この巨額債務を返済することに、税収の増大を計るのは誰しも思うことだ。税金はお金のある所から取る。これも又当然のことだ。そうした当然のことを、総理自らが、恰も善政を行うがごとき発言で、金持ち苛めに走ったら、良いことはどこにもない。総理は緊縮、増税論者だとの悪印象を国民に植え付けるだけのことだ。補佐官は何をしていた。こんな初歩的な知恵さえも浮かばないのか。

経済を循環させ、人々の金回りが良くなり、物も金も動く。そうしてこそ税収も上がるものだが、国民から直接的に金を吸い上げる様にしたら、経済は萎縮し、失速し、却って税収は落ちてくる。

今まで7年間、アベノミクス国債を空刷して、金を市中にばら撒いたが、一向に経済はよくならなかった。金融政策一本やりで、物価2%Upを目指したが、それは7年間の実績で無理と分かった筈だ。処が、去年全国民に10万円の給付を行い、一部は消費せずに貯蓄に回した人もいたようだが、経済には好影響を与えた。2年間の自粛で本来なら倒産バタバタ、大不況に陥っていてもおかしくはないのだが、逆に戦後最良の不倒産数を記録した。お金が金融ではなく、実物として、各個人、企業にばら撒かれた結果だ。正にヘリコプターマネー。

一人10万円、1回に付き12兆円。これを年に2回、24兆円、2年続けてやれば、必ずやインフレになり、経済は活性化し、人々も潤沢になり、30年続いたデフレマインドを払拭することもできるだろう。2年で足りなければ3年やったらよい。

そうした意見を具申する人は総理の周りにはいないのか! いずれにしても、増税デフレを助長するような公言は総理自らが言うべきことではない。芝居であっても、財務大臣と総理とが口喧嘩をする位の言い争いは国民に見せた方が良い。今はもう総理であって、総理総裁の候補者でもなく、その選挙は既に終わっているのだ。いつまでも候補者の気分でいたら、総理失格になる。 

 

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紀の国訪問記(48)青岸渡寺に参拝。

熊野那智大社の本殿前で記念の写真を撮ってもらった後、大社を後にする。

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那智大社の由来書き。神武東征の故事などが説明されている。

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青岸渡寺那智大社の直ぐ横にあるとは、ここへ来るまで知らなかった。

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秀吉により再建された重文の本堂。

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夏休みの今頃の時期、コロナさえ無ければ沢山の参詣客で賑わっている筈の熊野那智大社も人影はまばらで、境内で立ち働く赤袴姿の巫女しか目に付かない。本殿に並んでお札販売の窓口が大きく開けられていて、ここも又巫女さんの販売員は暇そうにしている。折角ここまでやってきた。孫二人に干支のお守りを買うことにした。長女には午、妹には酉のお守りだ。良い記念になるだろう。

 

この熊野那智大社に並んで、一段低くなった場所に古びた本堂の青岸渡寺がある。大社よりはこちらのお寺の方がむしろ参詣者は多い位だ。ここも又大社と並び称せられる程有名なお寺で、西国三十三観音霊場の第一番札所になっている。参詣者の様子を見るとそのお札参りの巡礼者も多く、何人かのグループで来ている人、夫婦連れ、等々。本堂の中に入ると、納経所の辺りは更に人だかりがしていて、御朱印の順番を待っている。この賑わいは一昨年、コロナ感染前の四国霊場、徳島、高知の霊場の賑わいと似ている。ここが第一番観音霊場。ここに来る何人かはこの先、西国巡礼に向かうのだろう。

 

那智山青岸渡寺。寺伝によれば、聖徳太子の頃中国より仏教が日本に伝来してきた遥か以前の仁徳天皇の頃(4世紀)、インドの僧裸形上人がこの山にやってきて、この寺の前方にある那智の大瀧で修業を積み、瀧壺で観音菩薩を体得し、今のこの場所に草庵を結び菩薩を安置したと言われる。それから200年後の推古天皇の頃、奈良から高僧がやってきて、1丈(約3m)の如意輪観音像を刻み、先の観音菩薩像を体内仏とした。その後平安時代中期、花山上皇がやってきて、3年間ここに参篭し、その後、各地の三十三観音霊場を巡礼し、その時、ここが西国霊場の第一番札所になったと言われる。

 

青岸渡寺。以前からこの寺の名前だけは知っていて、それは当然熊野の海岸近くにある寺とばかりに思っていた。補陀落渡海で有名な補陀洛寺と共に、この寺からも同様に渡海が行われていたとばかりに思っていた。だが今こうしてこの寺にやって来ると、大雲取山の山中にあり、熊野那智大社とは隣同士になっていたとは、実際ここへやって来るまでは分からなかった。信長により焼き討ちにあった本堂はその後、秀吉により再建されたが、その時より既に400年は経っている。重文の本堂は照明も弱く、内陣は薄暗い中にぼんやりと見える程だ。ご本尊の丈六の如意輪観音像を見ようとしたが、薄暗い中でよく分からず、暗い闇に向かって両手を合わせ、取り敢えずは心経をお祈りした。

 

大社も社を初め沢山の重文があるが、この寺も同様だ。

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明治の神仏分離で一時は廃寺同様になったが、今は見事に立ち直っている。

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古い石碑なども重々しい。

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ここは西国観音霊場、第一番札所になっている。

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