ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音まほろば奈良の巡礼記(28)石舞台。

  • なだらかな丘陵の中腹にあるのは昔と変わらない。

  • 今は周辺が整備されて、周囲に堀が巡らされて、巨石の台地が独立している。

  • 観光地らしく、整備されているのだ。

こうした階段を上るのも大変だが、頑張って近くに行こう。

 

 

ここへやって来るバスの中で、飛鳥と明日香、この二つの文字の微妙な違いに頭を巡らせていた。言葉で言えば「あすか」で同音だが、文字に表すと全く異なる印象を与える。3世紀後半、卑弥呼が九州の地からここ大和へやって来て、箸墓に巨大なお墓を築き、それから約100年、卑弥呼後継者はここ大和に倭王権を形成しつつあった。その王権に従う豪族が周辺に幾つかあり、ここ飛鳥は蘇我氏の本貫だった。蘇我の領地だったのだ。この一族は新参の倭王朝を助ける有力な豪族としてこの地に君臨していた。

そう言えば、倭と大和。これも又同じ「やまと」の読み方であるが、文字は全く異なる。飛鳥も倭も如何にも外国風で、明日香と大和は和風だ。蘇我にしても同様。どこか日本離れした姓である。昔からあった氏かばね、姓とは思えない。馬子は当時珍しかった馬を連想させ、古風な物部守屋と敵対し、仏教招致に熱心だった。良くは分からないが外来氏族かも知れない。

前回はレンタカーでやってきて、確か丘の上の方に駐車場があり、そこからだらだらとなだらかな丘を降りてきて、この巨大な石のオブジェクトにぶつかった。そのマッシブな巨石に驚嘆し、圧倒された。当時の碌な工具や機械もない飛鳥時代にこれ程の大きな石の塊をどこから運んできたのか? しかもそれはすべて人力で行われた。樫か何かの固い木材をコロのように利用していたかも知れないが、しかし、これ程の重量物を移動させれば、そうしたコロも潰されてしまうだろう・・。古代エジプト人は全て人力であれ程巨大なピラミッドを造営したが、それと同じように無数の人を使役して、ここまで運んできたのか・・。

今日はバスでやってきたが、巨石の下側に広い駐車場が出来ていて、今は僅かな額だが入場料も取っている。以前は台地の上に巨石が組石のように置かれていただけだったが、今は堀のようなものも作られ、この巨石の置かれた台地が他から切り離されて、独立の台地のようになっている。それに、上の方には資料館のような大きな建物も出来ている。この30年の間の周辺の変化だが、巨石のオブジェ自体は以前と変わらない。悪い足を引きづって、間近に見てみよう。

 

大した高さでもない階段だが、上るのも大変だ。

 

  • さあ、間近に行って、見てみよう。

     

    遠くから見ても巨大な石の塊だ。


    蘇我の馬子。強力な権力者だったに違いない。