ちゃおチャオブログ

日々の連続

10.13(水・小雨)甲府、怨恨放火殺人事件。参院無用論。

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深夜とは言え、人家が密集した地域で、室内に家族が寝ている際にドロボーに入り込む、と言うのは、随分大胆なドロボーと思っていた。無人の住宅に密かに入り込むのは有りうるが、在宅の家に押し入るとしたら、強盗だ。強盗は普通は一人では無理で、複数の強盗犯が押し込み、家人をはがいじめにして強奪する。しかし、昨日の犯人は一人だと報道されていた。

今日その犯人、19歳の男が交番に自首に、犯人像が判明した。犯人はこの家の長女と同じ高校の1年先輩のようだ。深夜、火災が起きる前に、この家の1階ではずっと電気が点いていた、との報道もある。娘二人が2階で寝ている間に、この犯人は1階で井上さん夫婦と話でもしていたのか・・。話がこじれ、激昂になり、殺害したのか・・。

不運な家族だ。こんな男に目を付けられ、殺害され、10代の姉妹は両親を亡くした。姉妹二人で助け合って生きて行かなければならない。ただ長女は既に18歳、高校3年生。何とか頑張れば、中学生の妹の面倒を見ることも可能だろう。過酷な運命を生き抜いて欲しい。

 

昨日に続き、今日も参院代表質問。参院無用論はゴンタさんも主張していたが、多くの日本人はそう思うだろう。しかし、参院を無くすことはできない。それを決めるのが国会議員自身だから、自ら身を切る改革などはできない。

日本は変わらない。日本人は変えられない。憲法改正を叫び続けて既に半世紀、掛け声だけは大きいが実を結ばない。戦後憲法、既に75年。後25年で100年憲法になる。参院改革も憲法改正も、明治維新や敗戦時のような日本が大きく変わらない限り、変わることはないだろう。フランシス・フクヤマの言う歴史の終わり。日本人はぬるま湯の中にどっぷり漬かっているのが好きな民族なのだ。

取り敢えずは、憲法に加憲、修正があるように、参院も米国上院のように、各県からの代表一人と、制限して行くべきだ。

 

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紀の国訪問記(53)熊野古道を歩き、那智勝浦港へ。

補陀洛山寺の隣には古びた神社がある。ここが熊野詣で九九社の一つ、浜の宮だ。大楠が歴史を物語る。

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お寺に並んで神社もあるが、歩き詣でが廃れた今は、神社も今にも朽ちそうだ。渚の森も、神社の裏に僅かにその形骸を残して程度だ。

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熊野古道の標識。この場所で大辺路、中辺路、伊勢路が交わった。ここから一つになって那智大社に向かう。

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暖かい土地で、南国の花も元気に咲いている。

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一口に熊野古道と言っても、都から熊野に向かうルートはいろいろとある。良く知られている大辺路、中辺路、小辺路、等のルートは、自分は名前だけ知っていて、実際はどこからどこへ抜ける参詣路なのかは分からない。名前から想像できるのは、大辺路は如何にもその名前の通り、都からは長距離の行脚を必要とするだろう、という事、又小辺路は海路南紀の港に上陸し、そこから短い距離の参詣路を歩くのだろう、という程度の知識しかない。その他にも、有田、田辺、周参見、伊勢方面からの幾つかの古道もあって、地元民にも年毎の参詣に利用されてもいたのだろう。

南紀まで海路でやってくれば、後は楽だ。先刻那智の大瀧からここ那智の浜まではバスで30分も掛からなかったが、この浜辺から歩いて行っても2時間も掛からないだろう。神武天皇がこの浜に上陸したという故事に則ってか、後世の熊野詣上皇はこの浜近くに浜の宮という仮宮を建てた。ここで潮垢離を行って那智大社に向かったと言われる。補陀洛山寺の隣に古い社が建っている。この社こそが当時の行宮、浜の宮跡であり、熊野九九王子の一つ、浜の宮王子だ。明治までは寺も神社も一体のものだった。ここが熊野古道大辺路、中辺路、伊勢路の交わる場所であり、この神社には那智大社、速玉大社、熊野本宮の3主祭神が祀られている。昔は渚の森と言われたこの周辺も神社の後ろに僅かにその形骸の林を残すのみで、唯一、神社前の参道に樹齢数百年を越える大きな楠が立っているが、これが当時の唯一の生き証人となっている。今にも朽ちそうな感じの由緒ある熊野若王子にお参りし、勝浦に戻ることにした。

来た時はバスだったが、帰りは電車で帰ることにした。地方と言っても南紀の観光地。30分も待てば次の電車もやって来るだろう。ホームの直ぐ前まで那智の浜辺が迫ってきている。先刻の親子連れはもう既にどこかへ行ってしまい、今は無人の浜辺だ。このホームも電車を待つ人は自分だけ。コロナ下とは言え、神武天皇所縁の場所が淋しい限りだ。ただこれも一過性。来年の夏には又沢山の人が行楽に、参拝にやってくるだろう。電車は松ほども無く程なくやって来て、二つ目の駅、那智勝浦で下車する。今晩の泊まり、温泉民宿小阪荘は駅から徒歩4-5分の場所。一旦チェックインし、夕食までにはまだ時間もあり、近くの勝浦港を見に行くことにした。日本一のマグロ漁港。今晩の夕食もマグロ尽くしだ。

 

  • 大きな芙蓉も咲いている。

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    宿に一旦チェックインし、夕食までの間、勝浦港に向かう。

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    ミナミマグロ、太平洋マグロの最大の水揚げ港だ。

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    港の向こうに市場がある。そこまで行って見よう。

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10.12(火・曇り雨)参院代表質問。甲府、残酷な事件。サッカー豪州戦、絶対に負けられない。

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朝からNHK参院代表質問が放映。衆院と同じ二番煎じの質問と、衆院と同じ総理答弁。こうしたのを見ていると、参院無用論がふつふつと沸き上がる。無意味な質問と無意味な答弁。大いなる時間と税金の無駄使い。

 

今朝未明、甲府市内で残酷な事件発生。民家に押し入った犯人に家が放火され、階下の両親二人が焼死。2階に寝ていた10代の姉妹が、物音で階下に降りた所、犯人と遭遇、直ぐにベランダに逃げて、命は助かったが、両親二人は還らぬ人となった。この二人の姉妹、突然に両親を奪われ、この先の長い人生、生きて行かなければならない。残酷な運命だ。少子化の中、頼れる親戚がいればよいのだが、行政は最大の援助をしてやらなければならない。

しかしそれにしても極悪犯人。何も火まで付けなければ、両親の命も助かったかも知れない。極悪非道の男。警察は必ず捕まえ、死刑にしなければならない。逃げおうせても地獄へ行くことは必定だ。今日、池袋暴走老人が、自分の過失を認め、遺族に謝罪したように、犯人も自身の悪行を悔い改め、1日も早く警察に自首し、罪を償え!

 

今晩のサッカー、豪州戦。みっともなくも、サウジに2連敗し、大恥をかいた。今晩は絶対に負けられない。負けたらもう日本から出て行け! 日本には暫く戻って来るな!

必死に頑張るしかない。サウジが日本に対し、必死で頑張ったようにだ。

 

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紀の国訪問記(52)那智、補陀洛山寺に参拝。

那智駅からは県道を渡った先に補陀洛山寺がある。

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境内には庫裏も無く、無住寺のような感じだ。

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補陀落山、インドのポータラカ、中国浙江の補陀山は一大観音霊場だ。

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境内には渡海に使用されたと同型の伝馬船が奉納されていた。

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結局、降ったり止んだりの雨の中、滑りやすそうな石段を下って那智大瀧の滝壺まで降りるのを止めて、次のバスに乗って下山した。バスは途中市野々の集落の前を通るが、この辺りは10年前の秋、台風の襲来によって記録的な大雨災害を齎し、丁度今バスの右手を流れている那智川が氾濫し、この辺りでは多くの死傷者を出した。その時の春の東北地方を襲った大津波の大災害の陰に隠れ余り目立たないが、南紀地方の豪雨災害としては記録的な出来事だった。10年経った今は災害も復旧され、バスの中からは傷跡は見えないが、心の傷はいつまで経っても癒えないだろう。

 

那智大瀧から20分、バスは那智駅前に停車し、下車する。県道を渡った直ぐ目の前に補陀洛山寺がある。補陀落渡海の信仰がいつ頃から発生したのか、自分には分からないが、一昨年四国巡礼で参拝した足摺のお寺、金剛福寺は有名であり、足摺岬の名前も一説には、渡海を嫌がった僧侶が足を摺って、ダダを捏ねて小舟に乗らなかった、とも言われている。又同じ四国では、平賀源内菩提寺塔頭もある志度寺にも同様の伝承があり、人々はタライ舟に乗って、志度の浜から漕ぎだして行ったと言われる。ただここの海は目の前が瀬戸内で、あちこちに小島等もあって、沖の太平洋に行きつく前に、どこかの小島に漂着する可能性が高かった。

 

ここ南紀補陀洛山寺は、金剛福寺同様、目の前は太平洋の荒波で、沖合に出れば直ぐにも難破するのは必定だった。死ぬのが必定で波高い沖合に出て行く。何か先の大戦の特攻隊員の原点のような宗教行事だが、だからこそ高僧として崇められ、金剛福寺本堂の裏手にはそうして犠牲になった僧侶の沢山の石塔が立っていた。金剛福寺志度寺四国霊場の1ケ寺であり、お寺の財政は豊かに思え、志度寺などは五重塔まであり、八十八ケ寺霊場の中で五重塔があるのは最御崎寺善通寺等僅かに4カ所を思うと、大変な財力だった。

 

それに比べ、ここ補陀洛山寺は、やや荒れ気味で、無住寺のような感じで、境内には庫裏も見当たらなかった。四国霊場の場合は全国から参詣者が日々やってきて、賽銭、御朱印代、等々の日銭が上がるが、この寺は単独寺で、檀家に支えられているのだが、過疎化も進み、檀家の数も減って来れば、お寺を維持するのも大変だろう。歴史あり由緒ある寺であっても、支える人がいなくなれば廃寺となる。県や文化庁の支援が無ければ、古い伝承も歴史の中から消えていく。

 

この寺に来て、再び青岸渡寺を思う。明治の廃仏毀釈の頃、青岸渡寺の沢山の宝物はこの寺に移され、破壊、破損、散逸を免れた。当時この那智山周辺にあって、最も信頼の置ける大寺であった。明治の中旬、那智山念仏堂が新たに青岸渡寺として再興した際、預託された宝物は返納され、この寺は空っぽになった。仁徳天皇の頃、インドから裸形上人がこの地にやって来て、この寺はその時の創建と伝わるが、当時を記録する宝物は残っていない。補陀落渡海に関しては、この寺のどこかに小さな碑文があり、何人かの僧侶が渡海した事実が記されているとのことだが、案内も無く、探すのも大変だった。ただ境内には伝馬船のような船が展示してあって、この同サイズの船に乗せられ、沖合まで伴船に曳航され、綱切島辺りで、引き綱が切り離されたとのことである。

 

島がどこにあるのか、駅裏の浜に出て海を眺める。白い砂浜が左右にずっと広がっている。神武天皇がこの浜に上陸し、ここから那智山を眺めた。確かに大瀧は光の反射具合によっては、見えないこともないだろう。沖合の海は左右に狭まっていて、綱切島もこの湾口の左右のどちらかにあったのだろう。今は昔。浜辺では一組の親子が波に戯れていた。8月の第1週、コロナさえ無ければJRも臨時列車を走らせ、この浜辺も沢山の海水浴客、家族ずれで賑わっていただろう。裸形上人に連なる補陀洛山寺。その補陀落渡海に対比する青岸渡寺。青は青山の青かも知れないし、青龍の青かも知れない。矢張り、補陀落信仰とは一体のものだろう。

 

歴史を見つづけてきた境内の大楠。

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那智の浜に出た。3000年前、神武天皇がこの浜に降り立ち、奈良を目指した。

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コロナさえ無ければ、真夏の今は沢山の海水浴客で賑わっている筈だが、今は、子連れの家族1組がいただけだった。

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補陀落渡海の渡船の綱が切り離された綱切島がどの辺りか探してみたが、聞く人もいなくて、分からなかった。

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10.11(月・晴れ)衆院代表質問。東証大幅高。コロナ感染者最低更新。

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今日から衆院代表質問。バックから安倍麻生の2大派閥ががんじがらめにしているか

ら、総理も思う通りの政策は打てない。ちょっとでも筋道を外れたら、即座に横やりが入る。学術会議6人非任命問題。喉に刺さった小骨のようで取るに取れず、悩みの種だ。この問題をどう解決するかが、前菅総理同様に、彼の試金石となった。この小骨を取り除いた時が、がんじがらめの状態から解放される時だ。非任命=6人欠員は明らかに法律違反。総理は違法状態をそのまま放置するのか、法律順守し、改めて会議の在り方を検討するのか。派閥の力学の圧迫で、総理のモラル(もしあるとすれはだが)が棄損されるかどうか(長いものにまかれろ)の分水嶺だ。

 

総理が一旦は口走った金持ち層への重税、株式利益への課税増が、世論の反発、市場の拒否反応で、直ぐにも訂正し、「今直ちに行うことはない」と方向転換したのが、好影響を与えたのか、東証、朝から大幅高。一時は600円を越える上げもあったが、最終的には450円で終了。28,500円まで回復した。総理の発言は重い。軽々なことを口走るべきでない。

 

一番得したのは上海で、先週1週間国慶節で市場は休み。香港恒大の荒波にもまれることなく、上げ基調で始まっている。先週1週間の東京市場は何だったのか‥。東京だけが損をした感じだ。恒大、無事に軟着陸したのか、今日の香港市場は東京以上に上げ。一人バカを見たのは東京だけだった。

 

コロナ感染者数、連日最低数、記録を更新。東京、昨日は僅かに60人。今日は45人。全国でも600人台だ。小金井など連日ゼロベース。一帯何が原因でこうなているのか、病理学者は分かりやすい説明をすべきだ。香港風邪もインフルも萎む時はあっという間に萎んで行った。何故そうなるかを医者はしっかりと説明すべきだ。理由が分かれば、次の波が来た時に、単に自粛自粛、閉じこもりだけの要請ではなく、もっと効果的な対策が打てるはずだ。自分は前々から思っているのだが、原因は「Density」。コロナ菌の濃度にあると思っている。前々から言われている3密の、更にその濃度、密度の濃いものだ。コロナ菌自体の濃度が薄くなって、感染力が弱くなった。そうじゃないのか! 正しく答えよ!

 

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10、9(土、晴れ)大沼公園、函館元町。

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朝電車で 大沼公園へ、 駅前で自転車を借りて 大沼を一周する。 目の前の駒ヶ岳 山頂部が尖っていて 素晴らしい。 百名山を 登っていた頃であればすぐにも挑戦したい 気持ちになるが 今はとても無理 歩くのもままならず 自転車を漕ぐのが精一杯。 公園駅近くには 修学旅行の高校生が たくさんいたが それを離れると ほとんど 無人状態の 静かな湖。 ラムサールにも登録されていて 時々 水鳥が 泳いでいたり 鳴き声が聞こえる。 別荘も少なく ほとんど自然のままが 残されている 感じ。
お昼を駅前食堂で食べて 函館に戻る。 駅横の 海鮮市場で 孫達に 魚介類を送る。 その後市電で 函館ドッグへ。 丘の上の外人墓地を見て 元町公園へ。 昨夜は函館山から 素晴らしい夜景を 眺めたが 今日は 日中の函館を 眺める。旧 今井百貨店の 蛇腹の エレベーターを見て ホテルに戻る。 途中 海鮮市場にて 夕食を買って ホテルで食べる。 いい一日だった。

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10、8(金) 函館

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昨夜 大きな地震が 東京遅い 寝入りばなを起こされて その後寝られなくなってしまった 今朝は 4時起き 羽田には 随分早めに着いたが 7時 50分発 JAL にて 函館。
飛行中は雲が多く 眼下の 景色は 見れなかったが 函館に着いたら ほぼ快晴、 朝市を見て 五稜郭タワーに登り 夜は 函館山からの 夜景を眺める。この 夜景はやはり 日本一の美しさか コロナ解禁が解除して 山頂には たくさんの観光客が押しかけていた。 平和な日本が 戻ってきた感じだ。

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