ちゃおチャオブログ

日々の連続

北九州駆け足訪問記(2)北九州の思い出。

北九州空港に降り立ったのは何年振りのことだろう。
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空港シャトルバスに乗って小倉駅へ。
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小倉駅前から見える高炉の煙突。今は煙を出していない。
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小倉駅周辺の街路図。矢張り以前とは賑やかになっている。
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先ずは仕事だ、福岡天神に来た。
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今まで北九州には何回来ただろうか・・。そのすべては仕事で来て、仕事の合間を見ては、感光をした。最初に行った場所が鍛治町にある鴎外旧居。明治の末頃、森鴎外が陸軍軍医としてこの町に赴任し、小倉連隊で勤務していた。当時住んでいた住居が今でもそこに残されている。陸軍軍医少将の要職にあった鴎外は、馬小屋付の住居が与えられ、確か、静さんか静子さんと言った再婚相手とそこに住んでいた住んでいた。

自宅前から細い路地が真っ直ぐお城まで向かっていて、鴎外はこの路地を馬に乗ってお城まで通っていたそうだ。そのお城、小倉城も明治の廃藩置県で国に没収され、連隊本部になっていた。最初に小倉に来た時、真っ先に鴎外旧居を訪ね、この鍛治町通りを歩いて、紫川に架かる細長い橋を渡り、僅かに赤レンガの正門が残っている連隊本部跡に佇み、往時の鴎外を偲んだものだが、その最初に来たのはもう30年も前になるか・・。

次に行ったのは関門海峡に面する和布刈神社で、和布刈神事で有名な神社であるが、それは多分清張の小説の影響があったのかも知れない。松本清張はこの町の出身で、魚町とか、旦過市場の周辺に住んでいて、朝日新聞の印刷工などをしていたが、推理小説家として大成した。今ではこの町の3本、5本の指に入る位の名士になっている。確か文化勲章か功労者も受賞した、一世を風靡した社会派推理小説家だった。

それから槇文彦の設計した北九州市美術館。小笠原宗家の屋敷も見てきた。詩人の釘宮氏が元気だった頃には、あちこち案内してもらった。観光場所は限られていて、それ程多くはないが、一つ一つが思い出の場所だ。

今降り立つ北九州空港。埋め立て地の海上空港として出来てからまだ10年も経っていないと思うが、その出来て間もない頃、一度この空港にも降り立った。日本の地方空港はどこも同じようなコンクリートの塊で、地方独自の特徴と言ったものが感じられないが、この空港もその一つだ。だからこの空港自体の思い出はそれ程残っていないが、町と空港を結ぶ長い橋は良く覚えている。今、空港シャトルバスに乗って小倉駅に向かってこの橋を渡っている。小倉はどれ程変わっているだろう。
 
 
 
 
日中の仕事を終え、空を見上げると、西の空が夕焼けになっていた。
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西小倉駅前の飲み屋で一休み。
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ああ、珍しい、甑(こしき)島のお酒が置いてある。
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まあ、ホテルに帰ってもすることもない。九州の薩摩揚げは美味しい。
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侍士の門は実にこくのある酒だった。
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