ちゃおチャオブログ

日々の連続

「沖縄の4日間」(25)沖縄旅行終了。

国際通りの外れ、沖縄県庁の辺りは様変わりに綺麗になっている。
 
 
 
県庁前、昨夜沖縄3人衆と飲んだ店が左側に見える。
 
 
 
ペンペン草の旧天久デポーも今は様変わり。今日は休みだったが、美術館までできている。
 
 
 
銀行の本店や、新聞、放送等の県を代表する機関がここに集まってきている。素晴らしい街並みだ。
 
 
 
住宅街の小道を通り抜け、ホテルに戻る。
 
 
 
 
 
泊のステーキハウスで早めのランチを食べ、ゆっくり歩いてホテルに戻るが、飛行機の出発までにはまだ時間に余裕がある。先刻、県庁のある泉崎交差点辺りを歩いたが、自分が住んでいた30年前とは、街が様変わりしている。沖縄においておや、こんな立派な県庁が出来たとは! 

昨日車で通った宜野湾の新市街にしても、当時は埋立地で、国道58号線、大山から先の左手はペンペン草の空き地だったが、今は見事な近代的街区になっていて、ここには国際見本市会場メセナなども作られている。膨大な国家予算がこの島につぎ込まれている現状を見たが、沖縄の歴史的背景からすれば、それは又当然のことなのかも知れない。

出発までの約1時間、ホテルの裏側にある那覇新市街を歩くことにした。ここは以前は米軍が接収していて、天久デポー、即ち米軍の資材置き場になっていたが、当方が30数年前沖縄に来た時点では、既に日本政府に返還され、ここも又ペンペン草の原っぱになっていた。当時の計画ではこの広大な空き地に新聞社や放送局、銀行本店などが移る予定になっていた。

それから30年、県庁、宜野湾が大きく変わっているように、この天久も全く別の街になっていた。近代的都市。人口が少なく、生活レベルが高く、治安は維持され、何不自由ない町。そんな理想のような街区を当時草ペンペンだったこの天久地区に作り上げた。沖縄開発庁が主導したのか、県民の力なのか、社会の成長、国の豊かさが感じられる街がここにあった。

天久の、今は那覇新都心と呼ばれているようだが、その街区を歩き、近代的なショッピングセンターの中に入り、そこの2階にはビトン、ブルガリ初め、世界の名だたるブランドショップが店舗を並べているが、東京の高級デパート以上の高級感漂うフロアーを歩き、又、別の量販店ではLevi'sとか、本土では余り見かけないライト・オンなどのショップが並び、ああここは本土ではなく、沖縄なんだと実感し、沖縄の今を感じてこの新都心を後にした。

ホテルに預けた荷物を引き取り、4日前、最初に来た時と同じように沖縄の唯一の電車、モノレールの「ゆいまーる」に乗って那覇空港へ行く。この空港も何年かの間に大きく変わり、近代的になり、4年前この空港で阿波さんと会い、食事をしたことなど思い出し、搭乗開始の始まるまだしばらくの時間、小さな沖縄食堂に入って沖縄最後の時間を費やす。折からの夕刻、搭乗機は東シナ海に沈みゆく夕日に見送られるようにして那覇空港を離陸した。次に来るのはいつになるだろう・・・
 
                                了                                                    
 
 
 
フロントに預けた荷物を引き取る。又来る日まで!
 
 
 
ホテルの向こう側に崇元寺の森も見える。
 
 
 
那覇空港も素晴らしく近代的だ。
 
 
 
間もなく搭乗。西日が東シナ海に沈んでいく。
 
 
 
沖縄の海と空。
 
 
 
又来よう!
 
 
 
 
<追記>
 
皆さん、早いもので皆さんと一緒に沖縄を旅行してから来週でもう1年になります。沖縄旅行が遠い昔のように感じられますが、一方でブログを見ると、つい昨日のことのようにも思えます。
 
この旅行を企画してくれた稲さん、どうも有難う。又、ネギさんと吉さんには、楽しい旅行を一緒に行って頂き、どうも有難う。楽しい4日間でした。
 
沖縄でお相手して頂いた阿さん、田さん、忙しい中、お付き合い頂きどうもありがとう。今度行く時も、又、宜しくお願いします。特に田さんには、次回は釣り船「かりん」に乗船させて下さい。楽しみにしています。
 
沖縄を離れて既に30年、文中間違った記述もあるかと思いますが、ご容赦下さい。
 
又、大さん阿さん山さん星さん、次回は是非皆さんもご一緒しましょう。
ストレスが晴れ、長生きできますよ!