ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(51)ジャールの山中で。

人跡未踏のような山間の道が続く。
 
 
 
ポーンサワンを出て約3時間、ようやく人家が見えて来た。
 
 
 
ここは3方向に分岐する峠の町だ。
 
 
 
ここは分岐点になっていて、左に進むとバンビエン、右手はルアンプラバンだ。
 
 
 
3方向の道路が交差するだけあって、山中の町だが、かなり賑やかだ。
 
 
 
この標識は今登って来たシェンコン(ポーンサワン)の方向を示している。
 
 
 
 
丁度昼時、ここで昼食休憩となる。
 
 
 
 
 
ポーンサワンを出てからおよそ3時間、山中の分岐点に到着する。数十軒の家屋、2-3軒の食堂や雑貨店もあって、多少の賑わいもある。右に向かうと北部ルアンプラバンへ、左手の道路を進むと、一昨日来たバンビエンの町へ出る。一昨日バンビエンからこの道路を走って来た時は、この分岐点では休憩せずにそのまま走り去ったが、今日は丁度昼食時。マイクロは食堂の前で停車した。山中で何もないような所だが、人と車が交わるところ、ちょっとした宿場町のようになっているのか。

食堂は、出っ張りの崖の上に建っていて、窓からの見晴らしも良い。勿論その窓は開け放しで、ガラスとか雨戸が付いている訳ではなく、開放的だ。今まで走って来た山並みがずっと先の方まで続いている。ここが丁度峠の位置に当たり、ここを三角点の頂点として、それぞれ3方向に下って行くことになる。

หิ้ง ไห หิน(ヒンハイヒン)。ラオス語(タイ語)でこう言うと思う。タイ人には「ジャール、ジャー」と言っても通じないが、「 หิ้ง ไห หิน」と言うと殆ど誰でも知っていた。「素焼きの壺、石の壺」、と言った意味だが、この青海原の殆ど人跡未踏に思えるような山並みの先に高度な文明が花開いていた、など、誰が想像できただろうか・・。この2000mを越える山並みの先に桃源郷があったのだ。その文明を作り上げた種族はどこかへ消えてしまい、今は平和で純朴で優しい人々が住んでいる。又、来よう。

30分程の食事休憩の後、マイクロは再び山道を走り続ける。舗装もかなり進んでいて、それ程の悪路でもない。最初のイメージが悪かったのか、身体が順応したのかは分からない。山を縫うように道路は下り、更に3時間、ぼつぼつ人家や集落が見え始め、山並みもなだらかになると共に、もう間もなくその先はルアンプラバンだ。
 
 
 
 
窓際の席でラオス麺を食べる。
 
 
 
窓の外は雨雲が漂っている。
 
 
 
これから向かうルアンプラバンへの道路が山肌を切っている。
 
 
 
山の頂付近には人家も見える。
 
 
 
深い山波。この切り込んだ先にはジャール平原がある・・。
 
 
 
マイクロが山を下るに連れ、人家も増えて来た。
 
 
 
もう間もなくルアンプラバンだ。